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2013年 08月 05日
8月15日が近付くにつれて、安倍首相および閣僚の靖国参拝が政治的争点となりつつある。安倍首相が参拝すれば、中国・韓国政府からの強い反発が生じるであろうことを日本の各メディアは指摘している。
もちろん韓国政府からの反発は起こるであろうが、こうした議論の際に抑えておかなければならないのは、今の韓日の体制の基本的な性格である。先日、新しいブログを開設したZED氏が、旧ブログで指摘していたように、朴槿恵政権と安倍政権の「2013年体制」は、両国間の「和解」と「協調」を進めつつ、アメリカへの忠誠競争で競い合うという旧来の日韓関係をバージョンアップさせたものとなるはずである。 メディア上でよく見られる構図は、安倍政権の「日米同盟」路線に対し、日韓の「和解」と「東アジア共同体」が対置される、というものである。しかし、安倍政権の路線は、外交路線としては、民主党の路線の連続線上で説明できると思う。米国を抜きにした「東アジア共同体」など、代表的な論者である和田春樹も姜尚中も管見の範囲では一度も語っておらず、また、「新冷戦」派の勇ましい対中強硬論も、中国を取り込むための手段でしかない。つまり、名称はどうであれ、今の外交上の対立なるものがあるとすれば、それは「東アジア共同体」路線Aと「東アジア共同体」路線Bの対立であって、その手段が異なるにすぎず、「外交構想」の違いではなく、単なる利権抗争であると見た方がよい。 「東アジア共同体」建設の障害は、言うまでもなく、日本の右翼的な世論と韓国・中国のナショナリズムである。今生じている事態は、日本のリベラル・左派の、東アジア諸国における歴史認識の共有を志向した「東アジア共同体」路線Aに対して、「東アジア共同体」路線Bが勝利しつつある、というものであろう。 路線Bは、「歴史認識の共有」ではなく、「歴史認識の一致を前提にしない」ことを前提にした「連帯」を志向する路線であると要約することができる。麻生太郎副総理のそうした主張が、韓国政府からの反発を招いたことが報じられているが、これは安倍政権の上層部でこうした認識がある程度共有されていることを示している。その観点からみれば、安倍のブレーンの一人とされる西岡力の発言が示唆的である。 西岡は、『韓国分裂――親北左派VS韓米日同盟派の戦い』(扶桑社、2005年8月30日刊)の中で、「「韓米日」三国の保守派の連帯」(35頁)を実現するための方策を提唱している。長くなるが、重要な箇所なのでご寛恕いただきたい(強調は引用者、以下同じ)。 「壁を乗り越えるには、やはり双方が歴史認識の一致を前提にしないということがどうしても必要だと思う。」(52頁) 「つまり、保守派というのは愛国者で民族主義者だから、歴史認識の一致を求めたら喧嘩になるのは当然だ。だから、韓国の保守派に対しては、例えばこういう問い掛けをすべきだと思う。国が違うのだから歴史が違うのは当たり前だ。我々は韓国の歴史教科書を日本人が納得するように書いてくれとは言わない。だから、あなた方も日本の歴史教科書を韓国人が納得するように書けとは言わないで欲しい。一致を求めない点で一致できたら、金正日を敵とするという点で同盟ができる、と。」(52頁) 「歴史教科書というのは家でいえばアルバムみたいなものだ。子供に我が家はこんな家だったと見せるものだ。もし本当に過去に悪いことがあったとしても、おじいさんが犯罪者だったといって、その記念写真を載せるだろうか。歴史教科書というのはそういうものだ。それなのに韓国側の要求は、記念アルバムにおじいさんは犯罪者だったということを載せろと言っているようなもので、それはおかしい、と。/そういう視点が韓国の保守派の共通認識になればいい。」(53頁) 「日本の教育現場では、日教組という教職員組合が自虐的な歴史を教えて子供たちをダメにした。それでは国がダメになるから、『新しい歴史教科書』をつくって歴史教育を正常化しようとしているのだ。韓国でも全教組という教職員組合が大韓民国の歴史を否定する「反韓史観」を植え付けて子供たちをダメにしたから、保守派はその反韓史観を覆し正常化が必要だと言っているではないか。日本がやっていることも同じことなのだから、少なくとも日本の教科書正常化の動きを邪魔してくれるなと。/むしろ日本の歴史教育が正常化した方が韓国にとってプラスなのだと分かってもらうことだ。」(53~54頁) 「その点、アメリカはブッシュ政権になって、日本が安全保障論や歴史教育で正常化することがアメリカにとってプラスになるということが分かってきた。かつてアメリカの中には、日本が自分の意志で軍事力を整備することに対して非常に警戒する「瓶の蓋論」のような流れがずっとあったわけだが、ブッシュ政権はそれはアメリカのプラスにならない、むしろ日本が安全保障面で責任ある行動を取り、歴史・伝統への誇りや国家主権を大事にしようという流れを評価することが、アメリカのプラスになると分かった。/その背景には、保守回帰というアメリカ自身の正常化があったわけだが、韓国の保守派に対しては、日本と韓国はいま、アメリカと同じようなプロセスをたどっているのであり、その中に歴史教科書問題も竹島問題もあるのだということを、パイプをつくって議論してゆくことが必要だ。」(54頁) 「私はその日のシンポジウム(注・2002年9月の「新しい歴史教科書をつくる会」シンポジウム)にパネラーとして参加しており、金氏(注・『親日派のための弁明』の著者である金完燮)の主張に次のように明確に反論した。私が連帯すべきと考えている韓国の保守派は、韓国を愛し、韓国には命をかけて守る価値があると考えている人々だ。彼らはいま、韓国内で「反韓」勢力、親北左派勢力とまさに命がけで戦っている。/金氏の本を読んだ多くの日本人は、日韓の対話とは、金氏のように日本側の歴史認識と一致できる人々との対話だと考えてしまう。しかし、真の意味で尊敬できる友人とは、自国を心から愛しており、そのため事実関係の議論は別として日本側とは完全には歴史認識の一致ができない人々だと私は考えている。」(55頁) 「我々日本人も、敗戦後、一九五二年まで、アメリカに占領され、憲法を押しつけられるといった体験をした。同じような辛い経験を韓国人(朝鮮人)が日本の植民地統治時代の三十六年間に経験したであろうことを日本人も想像するべきです。日本の植民地統治時代をただ手放しで礼賛してしまうと、「あの素晴らしい植民地支配をもう一度」ということになりかねないのですが、それでは、大韓民国は大韓民国でなくなってしまう。独立運動への思いにしても、やはり韓国人に内在していたのは否定できない。海外での独立運動も、朝鮮半島内からの支援金が流れていたし、国内にも一進会と違って当然独立を望む人たちはいたのです。」(57頁) 「そういう形の「反日ナショナリズム」を持つことは、韓国人としては当然であり、いくら彼らが「親日派」だったとはいえ、所詮日本の植民地統治時代の数々の歴史的事象に関して、共通の歴史認識を持つことは無理です。/ただし、歴史的事実に関する是々非々の議論は可能です。慰安婦問題でも、日本軍による強制的な連行があったかどうかに関して、「そんな事実はなかった」という私の考えに同感だという韓国人は李命英先生をはじめ、たくさんいます。かといって、そういう人がもう一度日本の植民地統治時代の再来を願うかといえば、そんなことはない。この区別が大事だと思います。/日本の朝鮮植民地統治は、かなりの産業投資を行い、そのおかげで朝鮮半島は戦前の時点でかなりの経済成長をした。人口も増加したし、その蓄積が戦後の高度成長に大きな影響を与えたのは、議論の余地のない事実だと思います。ただし、その目標は韓国人の民族的アイデンティティを破壊し「日本人」に同化させることだったこともまた否定できない事実です。」(58~59頁) 「歴史教育は愛国者をつくることを目指し、あとはその愛国者同志が国は違ってもお互いに尊敬し合っていけばいい。私もそのような日韓関係を築くため今後も努力したい。/そのためには日本側から言うべきことを言い、その上で歴史評価の一致を求めるのをやめようと強く呼びかけることが必要だ。」(82頁) もちろんこの、歴史認識の「一致を求めない点で一致」することによる連帯という論理は、日韓間だけでなく、日中間にも応用可能である。ただし、西岡は、韓国については「竹島や教科書などを巡る韓国の反日はこの二十数年間断続的に表面化してきたもので、本書でくりかえし書いているように韓米日同盟の枠の中にある限りは、二国間に根本的な利害対立はないから、日韓の外交当局の努力で十分マネージメント可能なもの」(65頁)であるから、「いまのままの反日は心配ない」と主張しているが、中国については時期尚早という認識のようである。 「こういう討論(2005年3月の韓国の民放局MBCの討論番組。産経新聞の黒田勝弘が参加)が「竹島の日」制定の翌日後、生放送で韓国人の多くが見る中、成立するのだ。黒田支局長だからこそできた日韓討論ともいえるが、日中でいままでこのような討論が一度たりとも成り立ち得なかったことは言うまでもない。つまり、韓国の反日は現状ではそれほど心配はない。」(70頁) 西岡の主張の土台としては、坂本多加雄による、歴史教育の「歴史」は「国民の物語」であるべきとの主張があることは見やすいが、佐藤優もかねてから歴史認識を共有しないことを主張してきた。佐藤は、人脈的には路線A、主張としては路線Bと、両方で天秤をかけてきて、どちらが負けても論壇上の地位を失わないようにしてきた、ということであろう。 「慰安婦」問題に関しては、河野談話の見直しという論点が焦点となってきたが、これも西岡の主張通り、河野談話自体は否定せず、その延長上として新たな官房長官談話を出すというあたりで収まるのではないか。これに金銭的措置が加えられるだろう。西岡は、河野談話は「玉虫色」であると指摘した上で、以下のように述べている。 「河野談話のなかには、「引き続き調査を継続する」と書いてある。だからその河野談話にあるとおり、調査をした結果について新たな談話を出すといって、「河野談話にあるとおり、権力による強制連行は確認されない」と明言する。そのうえで、「元慰安婦らへの同情心は変わっていない」ということを新たな談話として出すべきですよ。」(池田信夫・片山さつき・西岡力「「従軍慰安婦」は朝日の捏造だ」『WILL』2012年12月号) 東アジア共同体路線の推進において、日本の右翼的市民感情を抑制するよりも、韓国のナショナリズムを抑制する方がより容易である、という認識が路線Bである。この主張はかなり説得力があるが、この路線をそのまま進めれば中国の体制が不安定化するから、言葉上の強硬的な対中姿勢と裏腹に、中国政府へのテコ入れを安倍政権は行なっていくだろう。もちろん中国共産党は、朴槿恵政権と同じかそれ以上の「親日」である。 そして、歴史認識の不一致を前提とした連帯、という路線には、それとは対立していたはずの「歴史認識の共有」を志向していた路線Aの人びとも、建前としては反対しつつも、驚くほど従順に適応する、という形になるだろう。 和田春樹は、2012年10月15日に刊行した『領土問題をどう解決するか――対立から対話へ』(平凡社新書)の中で、以下のように述べている。 「竹島=独島問題は韓国の実効支配を日本政府が容認し、かつ韓国政府が日本を刺激するような現状変更を自制することを前提にしながら、両国が自らの領土主張をつづけるということで棚上げにされたのです。崔氏(注・「韓国の研究者」崔喜植)氏はこれを「独島モデル」と呼んで、積極的な領土問題方式としています。たしかに日本側が併合条約は合法的であり、植民地支配は合法的な条約によりなされたものであるから、反省も謝罪も賠償もしないと考えていた1965年の時点では、日韓条約の本体同様に、玉虫色の解決で問題を棚上げするのが唯一可能な、合理的選択であったと言えるでしょう。」(218頁) 「竹島=独島問題は激化し、対抗措置が韓国側でエスカレートするにつれ、日本側でもいろいろな主張がこころみられています。棚上げ方式、「独島モデル」は機能しなくなりました。この問題が解決していないことが、日韓関係を悪化させかねない情勢となりました。」(224頁) 和田は、1978年の日中間の「棚上げ」合意についても、「1965年の日韓国交正常化のさいの「密約」よりは弱いが、精神においては「独島モデル」が採用されたとみることができます。」(221頁)と述べている。 和田自身の同書での主張は、韓国に対しては独島(竹島)の領有権は放棄するものの、中国に対しては尖閣(釣魚)諸島領有の日本の主張の正当性を「ねばりづよく説得することが必要」というものである。しかし、上記の引用で明らかなように、和田は「独島モデル」を評価している。「独島モデル」の「両国が自らの領土主張をつづけるということで棚上げ」という方式は、西岡が上で提唱していた、歴史認識の「一致を求めないという点で一致」という方式と、論理において同一である。そして、あらゆる領土問題は歴史認識問題である。 歴史認識の共有を志向する路線Aの人びとは、そこで共有されるべき歴史とは、主として日本の加害の事実なのであるから、中韓との領土問題においては、本来、仮に日本に領有権があると考えるとしても歴史的感情を踏まえて譲歩すべき、との主張(対韓国における和田の主張である)でなければおかしいのである。ところが、大多数のリベラル・左派は、近年の領土問題において、「棚上げ」方針を主張したのである。つまり、そこでは既に「歴史認識の共有」という論理から、「歴史認識の不一致の共有」という論理に変質していたのである。 安倍自身が参拝するかはわからないが、閣僚の何人かは参拝するであろう。それを契機として歴史認識に関する批判が中韓から来ると思われるが、日本のリベラル・左派は、もはや歴史認識に関しても、批判的な機能を大して果たし得ないと思う。建前としては批判しつつも、この「新体制」に驚くほど従順かつ容易に適応していくのではないか。そして、こうしたリベラル・左派を体制の補完装置として取り込む形で成立するのが「新体制」ではないかと思う。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2013-08-05 00:00
| 日本社会
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