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2014年 03月 20日
「第二の韓日協定」(1)
http://watashinim.exblog.jp/20123862/ 以下、強調は引用者による。 ※※※※※※※※※※※※※※※ 西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編『「慰安婦」バッシングを越えて――「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年6月 西野瑠美子「被害者不在の「和解論」を批判する」 <「慰安婦問題は、河野談話によって均衡が取れている。談話を取り消すほど危険なことはない」という東郷和彦氏は、「慰安婦は既に大きな国際問題になっている」「このままでは、日本は女性を大切にする気持ちがない野蛮な国家とみられ、日米同盟にも亀裂が入りかねない」と述べる(注16)。前でもふれたが、謝罪について東郷氏は、「謝罪したとして、『許す』と言えるのは本人だけ。子孫はどんな謝罪をされても、足りないというしかない。全員が亡くなれば解決は不可能。永遠の問題になる前に、解決を急がなければならない」と指摘しているが、これは「和解を探ろう」という「和解先にありき」の考えではない。「和解先にありき」で和解の道を探ろうとすると、「喧嘩両成敗」的な議論が歓迎されるが、「慰安婦」制度は人間の尊厳に対する重大な侵害行為であり、拘束下で女性に性の相手を強いた性奴隷にほかならず、性奴隷の実態は強かんにほかならない。この責任を問うとき、「被害国だって悪いところがあった」ではすまないのだ。そのような歪められた「和解論」は、むしろ解決の脅威となる。 (注16)東郷和彦「二国間問題でない従軍慰安婦」『東京新聞』2012年9月11日付。> 金富子「「国民基金」の失敗――日本政府の法的責任と植民地主義」 <(注9)和田春樹「日韓関係危機のなかの慰安婦問題」『世界』2012年12月号> つまり、西野は後述の東郷の『世界』2012年12月号の論文を知った上で東郷を持ちあげている、ということ。 ※※※※※※※※※※※※※※※ 吉見義明「日本軍「慰安婦」問題再考――橋下発言をどうみるか」『世界』2013年8月号 <最近、日本のメディアの中で、アメリカでのこのような認識があらためて紹介されているがそれに触れながら、世界で何が問われているかを考えてみよう。 元外交官の東郷和彦氏は、2007年にアメリカで開催された歴史問題シンポジウムで聞いたあるアメリカ人の意見をつぎのように紹介している。 「日本人の中で、「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとっ て、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心を持っていない。……慰安婦の話を問いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。 ましてや、慰安婦が「甘言をもって」つまり騙されてきたという事例があっただけで、完全にアウトである。「強制連行」と「甘言でだまされて」気がついた時には逃げられないのと、どこが違うのか。……もしもそういう制度を「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、女性の権利の「否定者」(denier)となり、同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国ということになる。」(『世界』2012年12月号) まったくその通りで、問題の本質のひとつはここにあると思う。そして、一言つけ加えれば、当時においても、日本・朝鮮・台湾から騙しや甘言により人を国外に移送することは、刑法上の重大な犯罪だったのだ。> ※※※※※※※※※※※※※※※ 東郷和彦「私たちはどのような日韓関係を残したいのか――「普遍的人権」問題としての慰安婦制度」『世界』2012年12月号 <ARF会合に出席するため韓国を訪れたヒラリー・クリントン国務長官から、驚くべき発言があったとの報道が現れた。 東海岸発でアジア情報について高い信憑性があると言われているウェブ・リポートに、(注・2012年)7月9日付で、ソウルに到着したクリントン長官が内輪の席で「(慰安婦問題)は『性奴隷』の話であり、自分が非常な関心をもっている女性の権利と国際的に承認された『人道に対する罪』の文脈で発言したと報ぜられた。(中略) この問題について何度も議論をしてきた私のアメリカ人の友人たちは、一連の動きについて、「勘弁してくれよ」との絶望感を隠さない。(中略) ――「人道に対する罪」は、ナチスのユダヤ人虐殺をさばくニュルンベルク裁判で扱われた中心的な罪である。したがって日本人がギョッとするのかもしれないが、集団的な強制されたセックスが「人道に対する罪」であることは今や国際法の常識になっている。ヒラリーが「人道に対する罪」を持ち出すのはむしろ当然であり、なんら驚くに値しない。(中略) どうしたら、日本は、この問題について、日本の名誉を保った形で収束できるのだろうか。 (1)韓国政府がこれまでとってきた政策について私は、アジア女性基金に基づく償いを受け入れようとした一部慰安婦を非国民扱いした点に強い批判をもっている。 けれども、遺憾ながら未解決のままに残ったこの問題において、いまだに「恨(ハン)」を残している方々がおられることは受け入れざるをえない。この「恨」を解くことができるのは、本人以外にはいない。いま行動しなければ、この問題は解決不能な問題として日韓間に残ることになる。 それが、私たちが子孫に残したい日韓関係なのか。 もとより、解決には筋道がいる。しかし、今なら、明確な道筋が一つある。 「アジア女性基金」の延長上に新しい制度をつくる。日本政府は道義的観点から謝罪と償いを行う。2007年の最高裁判決で日本の法廷では慰安婦問題を有罪にしないという判例がでている。日本政府は、今度は、政府の予算を使って償い金を払うことができるはずである。 韓国側は、日本の戦後の法的秩序自体を全壊させかねない「法的責任の追及」だけは遠慮していただく。 これをもって、日韓間の政治的和解の基礎はできる。 政治的和解の後も、日本はこの問題に関する謙虚さを維持し続けなければならない。韓国人自身が、韓国社会全体の問題としての慰安婦問題を見直す時が必ずくるにちがいない。 (2)国際的には、ユダヤ・ロビーとの連携を強める。ニュルンベルク裁判の対象として、「人道に対する罪」そのものを産み出したホロコーストと、性・戦争・貧困という複雑極まりない要素の中から徐々に表れてきた「女性の人権」の遡及的な適用としての慰安婦問題に、同一には扱えない側面があることは、他ならぬホロコーストの対象にあったユダヤ・ロビー自体が最もよく理解することであるにちがいない。そのユダヤ・ロビー説得の唯一の途が、河野談話を基礎とする被害者に対する日本人の謙虚な姿勢にあるのである。 (3)結局のところ、同盟国米国との本質的信頼関係を高め、隣国韓国との問題を誠意を持って解決し、日本が国際社会の一員として尊敬をもたれることが、中国の台頭をはじめとする困難な状況を生き抜く日本にとっての戦略的道程なのではないだろうか。> ※※※※※※※※※※※※※※※ 金富子「「国民基金」の失敗――日本政府の法的責任と植民地主義」(『「慰安婦」バッシングを越えて――「河野談話」と日本の責任』) <2011年8月には、韓国憲法裁判所が韓国政府に「慰安婦」問題での外交交渉を日本政府に迫る「決定」を出した。これを受け李明博大統領が外交交渉に乗り出し、同年12月の日韓首脳会談で優先的解決を求めたが、野田首相は消極的だった。 しかし驚くべきことに、その後、日韓「双方が誠意ある対話」を重ね、2012年前半に「日本の首相の心からの謝罪」「国のお金で償い」の線で「合意寸前だった」ことが明らかになった(注23)。これが事実なら、日本政府が「法的解決済み」論を乗り越えようとしたと解釈できなくもない。 国家間の関係として日韓協定第2条に「完全かつ最終的に解決」されたと文言があるのは確かだが、国連報告が指摘したように、日韓協定で論議されなかった「慰安婦」被害者が求める個人の賠償請求権まで解決されたとは言えない。2012年に日韓両政府が「国家賠償を伴う謝罪」に関して「合意寸前」まで行った意味は大きい。その可能性をたぐりよせるためにも、そしてこれ以上の歴史認識の「再植民地化」を阻む歯止めとしても、現状では「河野談話」の継承は不可欠である。 (注23)金泰孝「李明博外交の5年間」『朝日新聞』2013年2月22日付。>
by kollwitz2000
| 2014-03-20 00:00
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