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2014年 03月 04日
<1870年代のオデッサに、ユダヤ人の間に啓蒙主義を広めるための協会があった。その主な仕事は青年世代にロシア語と世俗的な科目を教えることであった。1881年夏のこと、この団体のある会合で、最も年長かつ最も尊敬されていた会員のひとりが、ひどく激昂して次のように宣言した。私はこの会をただちに辞そうとしている。ユダヤ民族全体が攻撃に晒されている時にあって、今必要とされているのは、むしろ民族を救出するための指導力と主導の方であり、一部の個人が自らを向上させるための機会ではない、そうした時にあって、どのふさわしい生徒に奨学金が与えられるべきかなどを議論するのは無意味である。この公開決着を仕掛けたレオ・ピンスケル(Leo Pinsker)は当時60歳の医者であり、それまで文化的同化の代表的な同感者のひとりだった。著名なヘブライ学者の息子である彼は、モスクワ大学を卒業していた。またクリミア戦争への従軍により、政府から褒章を与えられていた。1871年のオデッサ暴動は、ロシアのユダヤ人の将来の見通しに関して、彼の心に初めて疑念の種を蒔いた。そして1881年の攻撃(注・ポグロムのこと)は、生涯の仕事である文化的同化の宣伝が、まったく無用であったことを、彼に最終的に確信させた。
ピンスケルの『自力解放(Autoemanzipation)』の基本をなす思想のいくつかは、まったく目新しいものでもなかった。しかし、これほどの明晰さと論理で体系立てて展開されたのは、以前には一度もなかった。またユダヤ人は、自らを助けないかぎりだれも助けてはくれないであろうと、これほど情熱にあふれた確信で語られたことも以前には、けっしてなかったのである。ピンスケルより前には反セム主義を、単にその国の後進性と、住民の邪悪な性格の結果とだけ説明するのが、欧の東西を問わずユダヤ人の常であった。ユダヤ人の存在の特異さを考慮した冷徹な分析は、ヘス(注:モーゼス・ヘス)の忘れ去られた著作を唯一の例外として、これまで試みられてこなかったのである。ピンスケルに、同時代人の非常に多くより不愉快な真実に向きあうのを容易にしたのは、おそらくその医者としての訓練であったろう。彼は反セム主義を、単に嫉妬心とか、あるいは蒙昧主義とかの観点から捉えることに満足しなかった。彼もまた、ユダヤ人恐怖症を精神の異常と見倣したが、彼の見解では遺伝的性質を有していた。それは二千年にもわたり病気として遺伝され、少なくともその原因が取り除かれない限り、治癒できなかった。この憎悪に論争という方法で闘いを挑むことは、時間と労力の浪費である、と彼は見倣した。「迷信に対しては、神が闘っても無駄である。」偏見、意識下の概念は、たとえどんなに力強く明快であったとしても、論証によっては除去できないと。 これは革命的な命題であった。ヨーロッパ中のユダヤ人同化主義者の代弁者たちは、数世代にわたり、まさに正反対のことを主張してきたのである。忍耐強い論証や議論を通じて、ユダヤ人は儀式殺人を犯さないことや、市民としての責任を進んで引き受ける用意があり、その国の経済的、社会的、文化的生活に積極的な貢献を果たしうる、と繰り返し説明することによって、反セム主義を鎮め、あるいはまったく根絶するのさえ可能である、と論じていたのである。これは、19世紀最後の四半期に出現した反セム主義と闘うさまざまな連盟、協会の基本的信念であった。それはまた、幾分修正されたものの、ほとんどのユダヤ人社会主義者に共有された。熱心な社会主義者で、ドレフュスの名誉を回復させる運動の中心人物のひとり、のちシオニストになるベルナール・ラザールも、1890年代に反セム主義について書き、人類は自民族中心主義から、四海同胞という精神に移行しつつある、と依然主張していた。> (ウォルター・ラカー『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史 新版』高坂誠訳、第三書館、1994年、104~106頁。原著は1972年刊。強調は引用者。)
by kollwitz2000
| 2014-03-04 00:00
| 在日朝鮮人
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