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2014年 03月 24日
20(承前)
④ 以下、第5章「父の死と天皇の死と」の末尾に関して、単行本版・文庫版がどのようになっているかを見ることにする。なお、対応する箇所ごとに英字記号を付しているが、文章は中略なしで一続きになっている。 単< (A)寡黙な生き様の裏に深い思いを募らせながら、それを表現する言葉を知らず、ただそれを抱きしめて別れを告げなければならない一世たちの悲しみ。それを思うとわたしは自分の胸が張り裂けそうだった。/なるほど、わたしは彼らを「代表」できるわけではない。しかし、彼らと出会うためには、一世たちの悲哀を解いてあげる必要があるのではないか。そう思うと、在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいていることがわかる。それをどうやったら表現できるのか。このことがわたしに託された課題のように思えてきたのである。/そのことを自覚するにつけ、昭和という時代の野辺送りに対してわたしは感慨を深くせざるをえなかった。/ (B)昭和天皇の病状がそっけない医学的なデータとしてメディアに垂れ流され、そして天皇の死とともに、日本全体が喪に服する巨大な哀悼の共同体に豹変したとき、それとほぼ同じく父も帰らぬ人となったのである。/このとき、再び壮大な歴史の忘却と捏造が国民的な行事として粛々と執り行われたような気がしてならなかった。 (C)戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。世界はまるで「扶桑の天下」を言祝いでいるようではないか。日本に生まれてみんな幸せだ。その感謝の気持ちを大事に、昭和の野辺送りをしよう。そして新しい時代の到来を祝おう。あらましこんな歴史のストーリーがテレビや新聞を通じて何度となく反復されたのではないかと思う。/「鬼胎」となったわたしの叔父や在日一世たちはいったいどこに居場所をみつけられるのだろうか。そして「日本人」だけの哀悼の共同体から排除された「在日」は、いったいどこにいればいいのだろうか。沈黙し、まるでいないかのように振る舞わなければならないのか。いったい「在日」とはどんな存在なのだろう。「自粛」の総動員体制の息苦しさにへきえきしながら、わたしは自分が生まれ育った日本という社会をみつめ直す必要に迫られたのだ。/そして同時に戦後という時代について考え直してみなければならないと思うようになった。 (D)今でもわたしにはあのときの光景が忘れられない。新宿で在日一世と食事をすませて外に出ると、あたり一面のネオンがボーッと消えかかるように暗くなり、やがて周りのすべてが重く沈んでいく錯覚にとらわれた。/「姜さん、これがわたしたちの知っている日本なんだよ」。ぽつりとそう語る一世の眼差しは、まるで遠い時代の記憶を手繰り寄せているようだった。にわかにわたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していたのである。/ (E)戦後とはなんなんだろう。そして「在日」とは。その問いかけは今も続く。此処の者(インサイダー)であり、他処の者(アウトサイダー)でもある「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになったのである。/こうして、大学を「本拠地」とするわたしの社会的な言論活動がはじまることになる。昭和の終焉と平成のはじまりにみなぎっていた「扶桑の泰平」という楽観的な雰囲気が、不安感と虚脱感に変わっていくのにさはどの時間はかからなかった。世界はめまぐるしく変化し、そしてこれまでの常識では計り知ることのできない出来事が日本でも頻発するようになるのである。>(162~165頁) 文< (a)寡黙な生き様の裏に深い思いを募らせながら、それを表現する言葉を知らず、ただそれを抱きしめて別れを告げなければならない一世たちの悲哀。それを思うとわたしは自分の胸が張り裂けそうだった。/いったい彼らの魂はどこに安らぎの場を見出すことになるのだろう。この愛すべき人々にとって昭和という日本の時代は何を意味していたのだろう。その時代が終わる時、彼らもまたその生涯を閉じた。異国の地で。だが、その異国の地に刻み込んだ彼らの歴史は、多くの人々に顧みられることもなく、ひっそりと埋もれてしまおうとしている。一世たちが異国の地で悲哀を抱きしめながら、彼らなりの「作法」で必死に生きたことをどこかに残さなければ・・・・・・。/わたしの中で彼らへの思いは募るばかりだった。/そのことを自覚するにつけ、昭和という時代の野辺送りに対してわたしは感慨を深くせざるをえなかった。/ (b)昭和天皇の病状がそっけない医学的なデータとしてメディアに垂れ流され、そして天皇の死とともに、日本全体が喪に服する巨大な哀悼の共同体に豹変したとき、愛すべき人々の記憶が片隅に追いやられていく気がしてならなかった。 (c)戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。世界はまるで「扶桑の天下」を言祝いでいる。日本に生まれてみんな幸せだ。その感謝の気持ちを大事に、昭和の野辺送りをしよう。そして新しい時代の到来を祝おう。あらましこんな歴史のストーリーがテレビや新聞を通じて何度となく反復されようとしていた。/「鬼胎」となったわたしの叔父や在日一世たちはいったいどこに居場所をみつけられるのだろうか。そして「日本人」だけの哀悼の共同体から排除された「在日」は、いったいどこにいればいいのだろうか。沈黙し、まるでいないかのように振る舞わなければならないのか。いったい「在日」とはどんな存在なのだろう。/「自粛」の総動員体制の息苦しさにへきえきしながら、わたしは自分が生まれ育った日本という社会をみつめ直す必要に迫られたのだ。/ (d)わたしにはあのときの光景が忘れられない。新宿で在日一世と食事をすませて外に出ると、あたり一面のネオンがボーっと消えかかるように暗くなり、やがて局りのすべてが重く沈んでいく錯覚にとらわれた。/「姜さん、これがわたしたちの知っている日本なんだよ」。ぽつりとそう語る一世の眼差しは、まるで遠い時代の記憶を手繰り寄せているようだった。にわかにわたしたちの前に現れた日本は、それまでわたしの知らない日本だった。まるで何か不気味なものが過去の世界からにょきにょきと手を伸ばしてわたしの足をつかんでしまいそうな錯覚に襲われるほどだった。不惑に手が届く歳になりながら、わたしはただ当惑し、慣れ親しんだ世界が遠くに去っていくような気がしてならなかった。/ (e)いったい自分はこれまで何を学んできたんだろう。肝心なものを学ばずに、いたずらに周辺的なものの周りをぐるぐると回っていただけではないのか。徒労感とともに虚脱感がこみ上げ、わたしは自らを恥じた。/もう一度、日本とは、日本人とは、そして「在日」とは何なのか、そのことを問い直してみよう。おじさんと父が逝き、昭和が終わるなか、わたしは何か大きな時代の終わりのはじまりを感じ取っていた。やがてそれは、それまでの常識では計りがたい出来事となって「扶桑の泰平」に酔いしれている日本を襲うことになるのである。>(176~179頁) まず、単行本版(A)では、「在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいている」と、在日朝鮮人一世の「悲しみ」「悲哀」の記憶は、在日朝鮮人二世である自らの中にも受けつがれており、それを社会的に表現していくことが今後の「わたしに託された課題」であると考えるようになったことが記されている。単行本版(E)の「此処の者(インサイダー)であり、他処の者(アウトサイダー)でもある「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになったのである。/こうして、大学を「本拠地」とするわたしの社会的な言論活動がはじまることになる。」とのとの記述と合わせて考えれば、これは、姜自身が在日朝鮮人一世の歴史的経験・記憶を引き継ぎ、そのような立場から、日本社会に向けて発言を行なっていきたい、という趣旨であると解される。 ところが、文庫本版においては、(A)での「在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいている」との記述が、また、(E)での「「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになった」という記述が消えている。その結果、在日朝鮮人一世の「悲哀」「悲しみ」は、在日朝鮮人二世である姜による社会的発言とは切り離されたものとなっている。 また、文庫本版(b)においては、単行本版(B)にあった「このとき、再び壮大な歴史の忘却と捏造が国民的な行事として粛々と執り行われたような気がしてならなかった。」との一節が消えている。これは、単行本版(D)の「わたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していた」との記述が、文庫本版(d)では「わたしたちの前に現れた日本は、それまでわたしの知らない日本だった。まるで何か不気味なものが過去の世界からにょきにょきと手を伸ばしてわたしの足をつかんでしまいそうな錯覚に襲われるほどだった。」との記述に変わっていることと対応している。 以前、連載「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」の「4-5.「平和国家」としての戦後日本の積極的肯定」で指摘した通り、姜は、この単行本版(2004年3月刊)と文庫本版(2008年1月刊)の間の2005年夏頃~2006年夏頃の時期に、戦後日本を「平和国家」または成功した国家として描き、それを積極的に肯定する姿勢を打ち出す方向へと転向している。そのような立場からすれば、単行本版のように、戦後日本社会そのものがこれまで行なってきた、戦争責任・植民地支配責任の忘却と歴史の捏造を「再び」行なったという認識、帝国主義的な、右翼的な社会意識は戦後社会においても消滅しておらず、「隔世遺伝」のように復活した、という認識は都合が悪いのである。したがって、「再び」の「壮大な歴史の忘却と捏造」という記述は消され、戦前的なものの復活という認識は、「それまでわたしの知らない日本」との記述に示されているように、大幅に弱められることとなる。 単行本版(C)の「そして同時に戦後という時代について考え直してみなければならないと思うようになった。」との記述、および単行本版(E)の「戦後とはなんなんだろう。」との記述が、それぞれ文庫版では消されていることも同じ理由であると思われる。単行本版刊行時の姜からすれば、そのような戦後日本社会への疑問は都合が悪いのである。姜こそが、「戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。」という主張を展開するようになっていたのである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2014-03-24 00:00
| 姜尚中
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