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2014年 03月 26日
20(承前)
⑥ 単<そうした問題(注・90年代以降の歴史認識問題)と向き合うことは、わたしにとって自分の歴史をどうとらえるかということにつながっていた。なぜわたしは「在日」として生まれてきたのか、一世たちは、どうしてこの日本にいるのか、彼らの一生はなんであったのか。それらについて思案するうちにわたしは、社会的な発言をしていかなければならないと自覚するようになったのである。/もっともそうした発言や活動は、代理行為に近い。発言をできない、また、発言したくても言葉を知らない一世であれば、彼らはどう考えるだろうと、いつも考えた。彼らの肉声を言葉にすることは至難の業である。言語化したとたん、肉声の魂は生命を失うような気がしないわけではない。それでも、歴史の忘却と言っていいような記憶の抹消が進んでいる社会に向けて絶えず発信し続けることが、一世たちとわたしとの絆を絶えず想起する意識的な行為のように思えたのである。/歴史論争の場で対立し、激しく論争しあうこともある。その原点には、一、二章で述べたような、幼少期からの一世との体験がある。それなしには、わたしがこのようにものを考え、発言すべきだというようには考えなかったと思う。/だから、歴史をめぐる問題にぶつかると、自分の原点である在日一世との記憶に引き戻されていくのである。それがわたしの十年の歩みであった。社会に共鳴板をみつけ出すことができたときはうれしかった。と同時に、わたし自身が無性にわたしの「在日」の記憶の糸をたぐっていきたいと思うようになったのである。>(181~182頁) 文<そうした問題と向き合うことは、わたしにとって自分の歴史をどうとらえるかということにつながっていた。/なぜわたしは「在日」として生まれてきたのか、一世たちは、どうしてこの日本にいるのか、彼らの一生はなんであったのか。学生の頃からの年来の「宿題」が、装いを新たに再び浮上してくるような感じだった。そう感じる度にわたしは「在日」一世たちとの記憶に引き戻されていく思いがしていた。>(197頁) 既に④で、単行本版では、姜自身が在日朝鮮人一世の歴史的経験・記憶を引き継ぎ、そのような立場から、日本社会に向けて発言を行なっていきたいとの趣旨の発言を行なっていることを取り上げた。ここで挙げた単行本版の抜粋では、その姿勢が非常に明確に打ち出されている。 ところが、これも④で指摘した傾向であるが、文庫版では、そのような姿勢が消えている。「在日一世との記憶」は、日本社会に向けた発言の根拠としてではなく、私的な次元でのみ扱われるものとなっている。 また、④⑤で、文庫版においては、姜は在日朝鮮人一世と自身との連続性を切り離そうとしていることを指摘したが、ここではその傾向がより明らかである。単行本版での「一世たちとわたしとの絆」を強調するさまざまな発言が消えている。 ⑦ 単<「おじさん」に会いたい。もう一度。あの悲しみの意味を受け止められなかったわたしは、岩本正雄は知っていても、李相寿は知らなかったのである。わたしは本当の「おじさん」に出会っていなかったのではないか、そんな思いに駆り立てられることがある。李相寿に出会いたい、もう一度。彼に出会うために、わたしは過去に向かって「前進」するしかないのでは・・・・・・。その思いは年齢とともに強くなっていくような気がする。社会的な発言者としてのわたしの行動を衝き動かしているのは、その思いの強さなのかもしれない。/「おじさん」が亡くなったとき、彼の周りにはほとんど何もなかった。>(59頁) 文<「おじさん」に会いたい。もう一度。あの悲しみの意味を受け止められなかったわたしは、岩本正雄は知っていても、李相寿は知らなかったのである。わたしは本当の「おじさん」に出会っていなかったのではないか、そんな思いに駆り立てられることがある。李相寿に出会いたい、その思いは年齢とともに強くなっていくような気がする。/「おじさん」が亡くなったとき、彼の周りにはほとんど何もなかった。>(67頁) この箇所は、姜が幼少期からかわいがってもらっていた在日朝鮮人一世、「赤の他人だが、わたしにとっては「第二の父」とも言うべき「おじさん」」(単行本版51頁、文庫版59頁)の死に関連した記述である。姜は、「おじさん」(日本名は「岩本正雄」)の本名(「李相寿」)を、「おじさん」の死まで知らなかった、という。だから上のような記述になるのであるが、ここでも姜は文庫版において、在日朝鮮人一世の記憶の引き継ぎとその「代理行為」としての社会的発言、という姿勢を意味する記述を消している。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2014-03-26 00:00
| 姜尚中
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