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2014年 04月 03日
20(承前)
⑧ 単<いろいろな思いを胸にわたしは(注・韓国から)日本に帰った。そしてわたしは二つの新しいことを決心した。一つは、今まであまり関心のなかった大学内の韓国文化研究会(韓文研)の門を叩くこと。そしてもう一つは、日本名「永野鉄男」を捨てて、「姜尚中」で生きることだった。/何かが、韓国に行ったことでふっ切れたように思えた。自分の中で変化が生まれたのがわかる。韓文研は、在日韓国人二世の大学生を中心とするサークルだった。(後略)>(単行本版、78頁) 文<「さようなら、ソウル。またいつか来るよ」。そして心の中で「永野鉄雄」を捨て「姜尚中」で生きようと、自らに語りかけていた。/「変わろう。変わらなければ。そのために名前を変えてみるんだ。変えてどうする。自分は自分じゃないか。いや、変わろう。変わってみるんだ」/煩悶を繰り返しながら、わたしはやがて「姜尚中」に引きつけられていった。/日本に帰ると、東京にはソウルのような荒々しい混沌と猥雑さはどこにも見あたらなかった。TOKYOと呼ぶのがふさわしいほど、東京は洗練され、世界のメトロポリタンに変貌しつつあった。/ソウルから帰ってみると、そうしたTOKYOがわたしの身体に馴染まないほどよそよそしく感じられてならなかった。わたしは何かやるせない憤懣を抱えたまま、心当たりのあった韓国文化研究会(韓文研)という在日韓国人の学生団体を訪ねてみることにしたのである。/韓文研は、在日韓国人二世の大学生を中心とするサークルだった。(後略)>(文庫版、88~89頁) この一節は、姜が大学時代に韓国を訪れた後、日本の大学生活に戻り、本名を名乗ること、在日韓国人学生サークルに入ることを決意した件に関する記述である。 単行本版では、韓国に行ったことによって「ふっ切れ」て、「自分の中で変化が生まれたのがわか」ったと明確に記されているが、文庫本にはそのような記述の代わりに、東京(TOKYO)への憤懣が記されている。 韓文研を訪ねたのは、単行本版の記述からは、韓国へ行ったことによって「自分の中で変化が生まれた」から、ということになるが、文庫本の記述からは、ソウルとまるで違う東京(TOKYO)が「わたしの身体に馴染まないほどよそよそしく感じられてなら」ず、「何かやるせない憤懣」を抱えるようになったことが、あたかも韓文研を訪れた理由の一つであるかのごとく記されている。 この変化は、以前このブログで引用したことのある、ちょうどこの単行本版刊行と文庫本版刊行の間の時期の、以下の変化を想起させる。「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 5」から引用しておく。 <そのことは、以下の石原慎太郎都知事の姜への「怪しげな外国人」発言(2006年8月30日)に関する、姜の記述の変化が、示唆している。 姜は、2006年9月から2007年4月までと推定される期間(注7参照)では、以下のように述べている。 「(注・石原発言で)はたと思ったことは、そうだったんだ、自分は外国人とみなされているんだ、ということです。意外でした。ショックでした。理屈とか深遠な思想などなくても、簡単な言葉でひっくり返すことができるんだなっていうことを知ったわけです。彼がそこまで戦略的に考えたとは思わないのですが、たった一言「外国人」という言葉で、門戸が閉じられたという気がしたんです。問題はいとも簡単な言葉だったということです。オリジンにかかわる言葉が、簡単で素朴で、だからこそ、釈然としないんだけれど、意外と、影響力を持ってしまうのかなと思った。」(『それぞれの韓国そして朝鮮』、173頁(磯崎新との対談より)) 「残念なことは、石原発言で、僕の周りでひいちゃった人たちもいるということです。僕を見る目は変わらないとは思うんだけれども、それまでは姜という人は自分たちと一緒にやってきた人だと思っていたけれど、やはり朝鮮人、韓国人なんだということになってしまい在日がとれてしまう。すると、何かこれまでより遠い存在になってしまうんでしょう。」(同書、151頁(リービ英雄との対談より)) ところがこの認識が、2007年8月には、以下のように変わっている。 「石原都知事とオリンピックの国内候補地選考でやりあったときに、なぜか体が震えたんです。それは「三国人発言」的なことを言われたからではなく、たとえば、「熊本魂」とか、そういうものに触れることなんです。「在日だから(僕が)そういうふうに言われるし、それに反発するんだ」と見る人が多かったけど、それは違う。在日云々より、石原氏は何か、「熊本の郷里」、そういうパトリ的なものの対極にいるんです。だから「東京が何だ!」っていうような、すごい反発感。何かこう、震える感じがした。で、しゃべっているときに、なんとなく涙腺が緩んでしまって……。それは何なんだろう、と。結局、東京に収斂してしまう国家、そういうものに対する、すごい反発心があったんです。/もちろん、熊本とか九州を、その前から意識はしていた。でもあの選考の場で、改めて強くそれを感じましたね。」(『日本――根拠地からの問い』、41頁、対談時期は2007年8月12~13日)> この「東京が何だ!」と、文庫本版における、東京(TOKYO)への憤懣に関する記述は、同じ機能を果たしている。つまり、韓国・朝鮮との結びつきから生じた(と一度は表明された)情動に関して、そのような結びつきの強さを否定する、または弱める機能である。文庫本版においても、「東京は何だ!」と同質の意志が働いていると見ることができる。 韓国へ行ったがゆえの自己変革、という認識を姜が文庫本で弱めたがっている(消したがっている)ことは、単行本版にある以下の一節が、文庫本では丸ごと消えていることからも確認することができる。ちなみに、文庫本版では、単行本版での韓文研時代の活動に関する記述が大幅に簡略化されている。 「(注・韓文研での活動を中心とした)そうした生活は、わたしにとっては新しい自分の発見を意味していた。そのきっかけとなったのは、やはり韓国に行ったことである。韓国に行ってすべてはそこからはじまった気がする。そして名前が姜尚中になったことで、さらに活動的になれたように思う。あの時代、わたしはつねにハイテンションだった。今まで味わってきた絶望的な感情を、仲間とみんなで乗り越えようとする思いが、わたしをかりたてていたのかもしれない。」(単行本版、88頁) (つづく)
by kollwitz2000
| 2014-04-03 00:00
| 姜尚中
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