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2016年 02月 16日
松本健一「腐食する戦後体制と右傾化」(『エコノミスト1978年12月19日号。松本健一『戦後世代の風景――1964年以後』(第三文明社、1980年1月)に所収)から引用する(前掲書、220~220頁。強調は引用者)。基本的に、こうしたやり方が現在まで続いているということだろう。
<(前略)新右翼のこういった微妙な動きと、最近の自民党政府の右傾化といわれる動きとは、どのような関連性をもつのであろうか。ふつうこれらは同じ線上のものとして語られる。だが、わたしは必ずしもそうはおもわない。すでに述べたように、新右翼は戦後体制の打倒をめざしているが、最近の自民党政府の右傾化といわれる動きは、むしろ戦後体制の修復および補強といった動機にはじまっているからだ。つまりそれは、三島事件以後、とくにロッキード事件発覚以後、新右翼からの戦後体制に対する攻撃から身を守るべき、反作用にほかならないのだ。 この反作用とは、たんなる反応でも、また反撥でもない。わが国の支配階級が権力維持のために用いるバランスとりを発動した、ということだ。それは、戦後体制への攻撃を回避して自民党政府の延命を図るために、みずからもある程度右傾化の動きをみせつつ、それによって極右を切り捨てようとしたことを意味する。 しかし、そういった時間かせぎと同時に、自民党政府が戦後体制の地崩れ的状況をみずから悟っていることもヽまたたしかである。そこで自民党政府は、戦後体制の改変を試みようとした。ところが、このとき、それを改変すべき未来のビジョンが見当たらない。あるいは、未来のビジョンを見出すべき人物がなかなか登場してこない。そのため自民党政府は、〈戦前的なもの〉によって、地崩れの部分を個別的に、応急的に補強しようとしたのである。 〈戦前的なもの〉とは、たとえば八月二十八日に砂田文相が行なった教育問題をめぐっての講演において、露出しているものである。すなわちこれは、およそ次のような内容であった。「戦後の教育は、平等主義に偏するあまり児童・生徒の個性を埋没させるという重大な誤り」があり、また、旧憲法下の教育勅語にあった「徳性のかん養や友情」などまで、「すべてを否定したのは誤り」だった、と。 ここには、自民党政府のうちの恋旧派の部分が、みごとにあらわれてきている。そうして<戦前的なもの>の露出は、これひとつではない。「君が代」を国歌として認め、靖国神社の国営化が計画され、元号法制化が構想され、自衛隊は違憲問題から解き放たれ、独自の判断をもって動く軍隊へ変身しようとしている。 こういった一連の動きを右傾化とみることはできよう。しかし、自民党政府がひたすら戦前への回帰をめざしている、とみるのはどうか。たしかに現在の野党の反対運動は、これをすべて戦前への回帰とみている。それゆえに、戦後の擁護にまわり、戦後の理念的象徴である「民主憲法」にしがみつく、といった構えをとるのである。 これは、未来にビジョンをもたない自民党政府にとっては願ってもない状況である。ちょっとでも〈戦前的なもの〉のよろいをちらつかせれば、戦後体制の大体の修復と補強はなしうるのであり、そのことによって「民主憲法」の理念的空洞化は果たしうるのであろう。つまりは、そのことによって容易に権力を維持しつづけることができるのである。 なぜなら、たとえば元号法制化についていえば、自民党政府はもともと「天皇崩御」にさいしては「民主憲法」下の「内閣告示」で改元できる、と考えているからである。それをあえて、元号法制化をもち出すことによって、野党をすべて戦後体制の強力な擁護者となしうることができたのである。まず、公明党が「天皇中心主義に逆戻りしない」ことを粂件に法制化に賛成を表明し、共産党も「天皇元首化の政治的意図をもつ元号法制化には強く反対する」といいつつも、その「慣習的使用には反対しない」と表明するようになったのだ。 自民党政府はこの一、二年、その拠って立つところの戦後体制の地崩れ的状況にあって、未来のビジョンをもたないがために右往左往していたのである。それが一転して、〈戦前的なもの〉のよろいをちらつかせることで、野党が形骸化した戦後体制の全き保守にまわることを発見した。これでは、戦後体制はもうすこしのあいだ、安泰である。そう思って、福田首相などはにやにやしていたにちがいない。 実際、野党各党の保守政治(=形骸化した戦後体制)に対する翼賛ぶりは、目を覆うばかりである。(後略)>
by kollwitz2000
| 2016-02-16 00:00
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