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2016年 02月 18日
渡邊一民「状況主義とラディカリズム」(『世界』1983年2月号。渡邊一民『ナショナリズムの両義性――若い友人への手紙』人文書院、1984年に所収)から引用する(前掲書、16~18頁)。ほぼ当たり前のことしか言っていないとは思うが、この指摘が30年以上後の今日でも(今日こそ?)有効であることに驚かざるを得ない。
<1954年3月ビキニ環礁で第五福龍丸が被爆したのが契機となって、原水爆禁止運動が国内に大きな輪を拡げていき、国際的にも反響を呼んだことは、きみもよく知っているところです。しかしこの運動が日本国内ではあのように急速に伸びていったにもかかわらず、西欧諸国ではいまひとつ説得力を持ちえなかったということ――現に最近の新聞が伝えているように、日本人の反核の訴えにたいして、アメリカ人が「パール・ハーヴァー」と答えたということを、きみはどう考えるでしょうか。日本人が世界最初の被爆者として核爆発の悲惨さを訴え、戦争反対を叫ぶ――それはおおくの日本人にとって当然の常識かもしれません。けれどもアメリカ人にしてみれば、それは原爆投下の責任をすべて一方的にアメリカに押しつけることであって、そこにはなぜ原爆を投下せざるをえなかったかという本質的な問題が欠落していることになる。したがってアメリカ人ばかりでなく日本人以外のさまざまな人々にとって、ましてや日本の侵略をうけた民衆にとって、「原爆許すまじ」という日本人の叫びはひじょうに身勝手なものとしか映らないでしょう。そうした意味で、「ヒロシマ」「ナガサキ」はけっして「アウシュヴィッツ」とはつながらないのです。 ここで視点をかえてみると、もし原水爆禁止運動が感性にのみ訴える「原爆許すまじ」だけでなく、原爆を投下されざるをえなかった日本人の戦争責任の問題まで取りあげ、そこから出発していたとしたら、運動は日本国内であれほどの拡がりを持つことはできなかったでしょう。そのかわりすくなくとも、戦争がこれほど容易に忘れさられ、遺族団が大挙してかつての激戦地を訪れ、教科書問題が起こることもなかったにちがいありません。はっきり言って、戦後の日本ですすめられてきた原水爆禁止運動でも、反戦運動でも、平和運動でも、護憲運動でも、60年代末から70年代にかけてのいくつかの大衆運動をのぞけば、大衆を組織するという政治目標が何よりも優先され、運動のそもそもの原点たるべき日本人の戦争責任ということは完全に無視されてきたのです。こうした状況主義の跋扈が、たとえその目的がどれほど意義あるものであったにせよ、個々の運動を事実上安易で自己満足的な基盤の脆いものに堕さしめ、結果としてここ十年の日本の右傾化をまったく阻止しえなかったことは認めないわけにはいきません。>
by kollwitz2000
| 2016-02-18 00:00
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