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2016年 02月 19日
前回の渡邊一民「状況主義とラディカリズム」(『世界』1983年2月号。渡邊一民『ナショナリズムの両義性――若い友人への手紙』人文書院、1984年に所収)からの引用の中に「状況主義」という言葉がある。この言葉は渡邊の造語なのだが、これについて解説した渡邊の文章が含蓄があると思うので紹介しておきたい。<佐藤優現象>は言わずもがな、「オール沖縄」や「反ヘイトスピーチ運動」など、今日でも「状況主義」の例には事欠かないが、ネット社会の有益な面は、この種の「状況主義」の問題性が大変見やすくなっていることである。この種の「状況主義」的運動の自滅・崩壊過程のとばっちりを受けないようにしなければならない。
<30年代〔注:1930年代〕の反ファシズム運動はある意味では革命の祖国ソヴェト擁護の運動だったとも言えるのですが、そうした国際的な反ファシズム運動の指導者の一人が、きみもよく知っているアンドレ・ジードその人でした。 ところがジードは、1936年夏ソヴェトを訪れ、そこに期待とはまったくかけ離れた現実を見いだしました。そして彼はその年の暮に、ソヴェトにおける「希望と信頼と無知によってつくられている」民衆、革命精神の死滅、すべてを受諾する服従の精神、あらゆるところに見られるコンフォルミスムを弾劾する、有名な『ソヴェト紀行』を発表したのです。もっともそれは、けっして世上に言われるような反共文書ではなく、その序文でジードが記しているように、「虚偽――たとえ沈黙のそれであっても――や虚偽に固執することは、ときには都合よく見えるかもしれぬ。が、しかし、それは敵の攻撃にたいして絶好の機会をあたえるものだ。それに反して真実は、たとえ痛々しいものであっても、癒すためにしか傷つけないものである」(「序文」小松清訳による)という確信にもとづいて書かれたものだったのです。そのような意図が政治の世界では理解されるはずもなく、この書物は右翼の喝采と左翼の側からの罵詈雑言によって迎えられました。 1936年という年が、ヨーロッパでいえばスペインやフランスに人民戦線政府が成立するとともにスペイン市民戦争が勃発するという、国際的な反ファシズム運動がその頂点に達した年だったことを、一言つけ加えておきましょう。それだけにジードを弁護するものはほとんどいなかった。けれども興味ぶかいのは、そうしたなかでジードの若い友人たちのおこなったジード批判です。それはピエール・エブラール、ジョルジュ・フリードマン、ポール・ニザンといった人たちによって書かれたものですが、そこには不思議にひとつの共通したパターンが認められます。 つまり、いずれも「ふたたび革命の敵がソヴェト同盟にたいしてたけり狂った戦いを開始している」(エブラール「アンドレ・ジードヘの手紙」、『ヴァンドルディ』36年11月6日号)と現在の国際情勢をまず展開してみせ、ついでソヴェトが革命以後資本主義諸国の包囲のなかで闘ってきたその特殊な状況を喚起したうえで、そうした事情への配慮がジードにはまったく欠けていることを非難し、それゆえに「ジードの書はわれわれの敵の手にわたれば武器となる。他方、彼の不充分な知識は、その語りかけようとするコミュニストたちに、何もかも拒否するように仕向けるのである」(エブラール「はっきりさせよう」、前掲紙37年1月29日号)と、そのはたす政治的役割を指摘して結ばれるのです。(中略) ジードは『ソヴェト紀行』刊行後も自分が反ファシズムの立場に立つことを再三言明しますが、反ファシズム戦線の門戸は彼にたいしてはかたく閉ざされ、ゲノーの「公開状」〔注:ソ連を擁護してジードを批判〕の発表された〔注:1937年〕12月以後もはや語ることもやめ、やがてフランスをあとにアルジェリアに去っていくのです。 ジードが正しかったか、エブラールやゲノーが正しかったか、その後半世紀を経た今日、あらためてそれを説明するまでもありますまい。しかしジード攻撃に用いられた論法については、それが政治家でなく、人間の自由を擁護するため反ファシズム運動に参加した文学者によって採用されたものであるだけに、もういちど考えてみる必要があるでしょう。 ジードが、それこそ反ファシズム運動をほんとうの意味で強化することだと信じたがゆえに、あえてあきらかにしようとした真実、すなわちソヴェトのまぎれもない現実、粛清への疑惑、抑圧への抗議にたいして、ジードの批判者はその真実の内容をまったく問うこともなく、いわば一方的に「政治判断」ないし「客観的判断」によって、その真実を圧殺し糊塗しようとしたのでした。そしてその根拠とされたのが、ゲノーが語ったように、個人の真実は全体の真実のためにときには真実であることさえ止めるべきだという、真実の相対性ともいうべき原理にほかなりません。こうした論法ないし思考法が、結果としては、大義のためにそれを用いた人々の善意とは裏腹に、まさにスターリニズムの犯罪の隠蔽にしか役立たなかったことは、その後の歴史の示すところでしょう。 わたしはこういう論法ないし思考法を一括して状況主義と呼びたいのです。一言でいえば、たとえ真実であっても、真実はそのときの政治状況によって真実であってはならないし、ときにはそれが偽りとならねばならぬことさえあるという、そのような考えにもとづくもののことです。そして独ソ不可侵条約締結でおわる30年代に顕著に見られた、一種の民衆不信に彩られるこうした状況主義は、けっしてこの時代だけに限られたものではなく、戦後もそのまま引きつがれ、《ストックホルム・アピール》の時代に青春をすごしたぼくらは、それによってどれほど毒されたかはかり知れません。今日なお、それと意識されないにせよ、状況主義的思考があらゆる領域で跳梁していることは、それをささえてきた特定の世界観が、つい最近までどれほど強い影響力を行使してきたかを証すものにほかならないでしょう。>(前掲書、9~13頁。強調と一部の段落がえは引用者) <状況主義の毒は、戦後40年ちかくのあいだに、日本の全身にまわってしまっているような気さえさせられるのです。>(同書、18頁)
by kollwitz2000
| 2016-02-19 00:00
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