東本高志氏が私の前回の記事を紹介してくれており、東本氏の善意を疑うわけではないが、根本的に私の文章を誤解されているようである。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-2205.html
東本氏は上記記事で、「金光翔さんの「在日として生きていくためにウリハッキョ(私たちの学校)は必要」ということへの懐疑」と書いている。しかし私はそのような「懐疑」は書いていない。全く逆に、「この発言者は同じ記事の中で、朝鮮学校について、「同じバックグラウンドを持つだけで仲が深まり、助け合える同胞コミュニティーの関係性にも、居心地の良さを感じている」と別の形でも意義を述べている。それだけではなく、日本学校に行かなくて済む教育機関としても、朝鮮学校は在日朝鮮人にとって当然必要であろう」と書いている。在日朝鮮人の子供が通える学校として、全国的なレベルで現実に存在している教育機関としては朝鮮学校しか日本にはないのだから、その存続が擁護されるべきなのは自明である。
私が前回の文章で批判したのは、朝鮮学校が「なくなってしまえば子どもたちは自分が何者かわからなくなる」という主張であり、指摘したのは、そのような認識が日本社会に拡散することや、「アイデンティティ」論で在日朝鮮人を位置づけようとすることの問題性である。
前回記事についてはちゃんと読んでいただければ誤解される余地はないとは思うが、紹介文だけ読んで、長めの文章は読み飛ばす人も多いであろうから、一言注記しておく次第である。