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2019年 04月 29日
内海愛子・中野晃一・李泳采・鄭栄桓『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか――民衆の平和と市民の役割・責任』(彩流社、2019年4月刊)を読んだ。鄭氏による「あとがき」によれば、「本書のもとになった対談が行われたのは2018年6月」(同書186頁)である。 同書の中で、鄭氏は以下のように発言している。 <戦後体制を批判する戦後民主主義運動とでもいいましょうか。本当はあまり乱暴にこうくくってはいけないんですが、ひとまず1980年代まではその片鱗はあったわけです。/しかしここ最近は、むしろ社会運動の側が戦後体制を擁護する逆転が生じてしまっているということです。1980年代以降に大国化を目指す路線として中曽根政権が登場する。新保守主義ですね。これに対し統一戦線を組んで対抗していかねばならないという動きが出てきた。ちょうどソ連・東欧の解体もかさなり、既存の左派・左翼ではなく、かといって中曽根型の新保守主義でもない。「リベラル」と自称する政治的な動きがあらわれてくる。これはおそらく当時新しさをもって受け取られたのでしょうが、この結果、戦後体制へのオルタナティブがほぼ完全に消滅してしまった。ある立場に収斂してしまった。私はそう思っています。>(鄭氏、同書96~97頁) 戦後民主主義運動への評価や、新保守主義への統一戦線という規定にも疑問はあるが、それらはさておくとして、上の認識は、鄭氏の著書『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)の韓国版に収録された文章の、以下の一節を、より詳しく展開したものと言えよう。 <本書を書き終えての私の結論は、『帝国の慰安婦』への日本の論壇の礼賛現象は、1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点である、というものである。>(日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『増補版 Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』御茶の水書房、2018年7月に所収、67頁) これまで私が鄭氏の文章を読んできた中で、この「『帝国の慰安婦』への日本の論壇の礼賛現象は、1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点である」という一節は、初めて強い違和感を感じたものだった。ただ、このような短い箇所だけで何かを書くのもはばかれるのでそのままにしていたが、そこに前々回の記事で取り上げた鄭氏の発言を目にし、やはりちゃんと書いておいた方が良いと思い前々回記事を書いた次第である。 私も「<佐藤優現象>批判」で、2005・6年以降の<佐藤優現象>に関して、1993年の「平和基本法」の流れで捉えたことがある。しかし、そこで書いたように、<佐藤優現象>は従来の流れからの連続と、そこからの飛躍の両面から捉えなければならないのであって、これはリベラル・左派の変動・再編という現象全般にも当てはまる。鄭氏は、『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』の上記の引用で「ここ最近は、むしろ社会運動の側が戦後体制を擁護する逆転が生じてしまっている」と書いているが、そのような論調にリベラル・左派が全般的に流れたのは、「「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について」で書いたように、私見では2005・6年以降である。この点は姜尚中に関する私の連載を読んでいただければより明らかになるはずである。 「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という主張は、それ自体としては間違ったことを言っていないように見えるが、2005・6年頃のリベラル・左派の飛躍という点を同時に述べない限り、あまり意味のない、批評性を欠いた言説になるのではないか。 素朴な疑問だが、1980年代・90年代で「戦後体制へのオルタナティブがほぼ完全に消滅してしまった。ある立場に収斂してしまった」のならば、季刊(NPO)『前夜』(第1~12号。第1号は2004年10月刊、第12号は2007年7月刊)のような雑誌・運動がなぜあったのか。こうした雑誌・運動は一定の読者層・書き手・担い手(の見込み)がないと成立しないのであって、『前夜』が終わった背景にも、2005・6年頃のリベラル・左派の変動・再編という現象があると考える。結局、「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という主張のみでは、あまり意味のある批判を展開できないのではないか。 なお、以前私がブログで紹介した、日本語版の『忘却のための「和解」』の関連箇所を見直して気づいたのだが、「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という趣旨の主張は同書の137頁に既に書かれている。同書141頁で私の「<佐藤優現象>批判」がリベラル・左派批判の趣旨から肯定的に紹介されていたので、気づかなかった。しかし、朴裕河の日本での最初の単著『反日ナショナリズムを超えて――韓国人の反日感情を読み解く』(安宇植訳、河出書房新社)の刊行は2005年8月であり、慰安婦問題を論じた『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』(佐藤久訳、平凡社)の刊行は2006年11月である(刊行年月はいずれも日本語版)。<朴裕河現象>に関しても、2005・6年頃のリベラル・左派の飛躍という観点からの説明も必要ではないかと考える。 リベラル・左派への批判に関して、2005・6年頃の飛躍を無視すると、当のリベラル・左派にとっては痛くも痒くもないものになり、逆に利用されるものになってしまうのではないか。『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』の鄭氏の発言・文章には、いくつか気になった点はあったとは言え、相変わらず教えられることが多かっただけに、一層その点を危惧する。再検討していただきたいと思う。
by kollwitz2000
| 2019-04-29 00:00
| 日本社会
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