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2006年 12月 12日
(1)で挙げたようなモノ書き連中への批判としては、私は、丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)一冊を読んでおけば足りるのではないかと思う(念のために述べておくと、「筑摩VS岩波」などと考えているわけでは全く無い)。
丸山は、同書の中で、ヨーロッパ的伝統への必死の抵抗として生まれた反語や逆説(丸山は例として、まさにニーチェを挙げている)が、日本のように生活のなかに無常観などの逃避意識がある中では、実生活上の感覚と適合し、現実への反逆よりも順応として機能しやすいことを指摘している。また、丸山は、日本の思想史の特徴として、思想に対する批判を行なう際にその内在的な価値や論理的整合性から批判するのではなく、その思想が現実を隠蔽している、美化している点を暴露することに主眼を置いて批判を展開していることも指摘している。 このほか、丸山は、思想批判の「伝統」として、「イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑」「論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手の理論の信憑性を引下げる批判様式」といった要素を挙げている。 私が付け加えることもない。これらの全共闘系による左派批判は、日本の思想風土の反応そのものであり、目立つ活動を行なう人間に対し、その主張の妥当性よりも動機や利害を詮索する「ムラ社会」の論理そのものである。 ついでに言うと、丸山は、「思想相互の優劣が、日本の地盤で現実にもつ意味という観点よりは、しばしば西洋史の上でそれらの思想が生起した時代の先後によって定められる」傾向も指摘している。私から見れば、内田樹も仲正昌樹も竹田らと同じことを言っているとしか思えないのだが、彼らが「デリダ」「レヴィナス」を使うから「説得力がある」と信じる人間も結構いるのではないか。 竹田や加藤といった手合いならば分かりやすいが、困ったことに、「ちくま・イデオロギー」は、左派にも染み渡ってきていると思う。 香山リカを私があまり評価できないのも、以前読んだ『<私>の愛国心』(ちくま新書、2004年)の結論部分で、以下のようなことが述べられていたからである。日本が軍備をして強くなってほしい、といった、何らかの政治的・社会的見解を<私>が持った場合、「この<私>のなかにあるごくごく個人的な何らかの感情――不安や不信感、自己不全感や理不尽さへの怒りなど――の裏返しである可能性はないだろうか」と自分自身に問い直すべきだ、と。 同書は、日本社会の精神障害者バッシングを批判しながら、小泉やブッシュは「患者」として扱う奇妙な本であるが、むしろ問題は、こうした形で政治的見解の背後に個人的な動機を見いだそうとする回路を肯定してしまっていることにあろう。香山は、これにより「右傾化する若者」に自省を促そうとしているのだろうが、勿論これは、政治的見解が「日本が軍備をして強くなってほしい」ではなく、「日本社会の差別をなくしたい」でもあてはまる。そうした「動機」ではなく、あくまでも「内在的な価値や論理的整合性」で勝負するべきだと思う。 90年代的な「自意識」ゲームを抱えていては、2000年代は戦えないのではないか。
by kollwitz2000
| 2006-12-12 03:50
| 日本社会
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