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2006年 12月 20日
改悪教育基本法成立がここまで延びたことは、予想外だった。というのも、土俵設定の段階で負けたと思っていたからである。
教育基本法改悪をめぐる論議では、上からの愛国心の押し付けが「思想・良心の自由」を侵害する、という論理で批判した声がリベラルでは多かった。私は、こうした批判を聞いて、東京都による日の丸・君が代の都立高校教職員・生徒への押し付け時の議論を思い出していた。 当時、メディアでの反対の声は、日の丸・君が代の押し付けが「思想・良心の自由」に反するから問題だ、という論理が支配的だった。一般紙ではないが、当時購読していた「しんぶん赤旗」もこれ一色だった。 何が言いたいかというと、日の丸・君が代の押し付けへのメディア上での批判において、なぜ日の丸・君が代自体への批判がほとんどなかったのか、ということである。東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、2000年)参照)、大雑把に言って、大日本帝国との連続性の象徴として問題にされてきたのではなかったのか。90年代のどこかで、日の丸・君が代問題の「問題」としての認識が、大日本帝国との連続性という問題から、「思想・良心の自由」の問題に変容したように思われる。 問題が「思想・良心の自由」の問題として扱われるということは、強制に反対する人々が少数派であり、「日の丸・君が代」を肯定するのが「世論」であることを前提としている。一旦、「世論」と少数派の問題として確定してしまえば、後はごり押しだ。抽象的(と解釈される)原理は「世論」に訴える力を持たない。「思想・良心の自由」は、個人が上からの押し付けに反対する理由としては必要にして十分である。だが、運動として展開していく上では、これだけでは弱いと思う。 東京都の日の丸・君が代の強制・大量処分のケースは、教育基本法改悪の前哨戦だったと思う。構図が完全に同じではないか。 問題にされるべきは、「思想・良心の自由」だけではなく、新自由主義的教育改革と、軍事大国化の中で、教育基本法改悪がどういった画期になるかを具体的に示すことだったと思う。渡辺治や大内裕和によって、論文その他では精力的に展開されていたが、結局メディア上では大きな声にはならなかった。 あと、「教育基本法」(今や「旧」だが)の中身の良さを礼賛する声も一部であったが、それはあまり意味がなかったのではないか。安倍政権の仕掛けた「いじめ」報道を待つまでもなく、戦後教育にポジティブな認識を持っている人間は少数派だろう。そもそも、1948年4月の朝鮮学校弾圧(阪神教育闘争。朝鮮人少年一名が射殺される)には、「教育基本法」第8条(政治教育)が使われた。「教育基本法擁護」ではなく、「反・教育基本法改正」でなければならなかったと思う。
by kollwitz2000
| 2006-12-20 07:37
| 日本社会
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