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2007年 12月 23日
私の論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)に対して、リベラル・左派からの批判の声が一向に現れず、残念に思っていたのだが、ここにきてようやく出てきた。こうした批判を検討することを通じて、リベラル・左派の論理の問題点を追求し、私の論文の補足を行なうこととしたい(なお、字数制限で一度に全文アップできないので、それぞれの注は、(4)の末尾にまとめて掲載している)。
ここで取り上げるのは、ある匿名ブログの「大学4年生」(1980年生まれ)による、私の論文への批判である。こういう、いかにも『論座』あたりからお声がかかるのを待っているようなブログを採り上げてやるのは気がひけるのだが、それはともかく、批判の声を聞こう。 「一読後の感想として、この論文の言葉使い、その論理の運びからして、駒場のときの△○派のアジびらの論理を思い出した。悪の帝国ブッシュと追随する日本政府、まではまあ良いのだが、イラク戦争を支援する日共、小泉政権を黙認する学生自治会、右翼論壇の岩波書店、断固フンサーイ!という論理。/この類の論理は、日本の、韓国の、あるいはアジアの政治的未成熟さを表すメルクマールだ。/佐藤優に書かせる岩波書店はすでに改憲を見こしたメディアだという論理は、共産党は議会制民主主義を認めるからすでにブルジョア政党だとレッテルをはる△○派と同じ論理だ。日本でも韓国でも、結局、二人集まれば三つの党派をつくっているわけだ。本来の敵と当座の見方が区別できないで、結局、団結できないのだ。現下の飢えを我慢する自制心と、そうすれば春に大きな収穫があるはずだという予測能力を持てないで、打倒すべき相手の前で、惨めな内ゲバをくり返している。この批判は、「社民党は2、3の選挙区で民主党と選挙協力するからすでに改憲派の政党だ」とする共産党にたいしても無縁ではないと思う。」 「金光翔氏は、「リベラル保守」とも手を組めという姜先生(注・姜尚中)をも、「改憲後の生き残りのための右派への擦り寄り」とするだろうか。私は、そこにもっと誠実な動機を見るのだが。/金光翔氏の主張は、左派メディアは改憲を見通して自らの生き残り戦術を確保していると批判するが、その実、自らの護憲のための建設的提案は何も示せていない。護憲派が、自らのサークルのなかで教条主義的に結集していくのならば、それこそ展望は皆無だろう。社共の潜在的支持層は固定化している。護憲のために肝要なのは、「リベラルな保守」がどう動くか、であろうと思う。したがって、私は姜先生の認識と提案に、同意したいと思う。」 特徴点としては、大きく言って、以下の4点が挙げられよう。 ①私のリベラル・左派批判を、極左・セクト的として戯画化しようとする姿勢 この批判者は、「右翼論壇の岩波書店、断固フンサーイ!」と、私の主張を戯画化して記述している。だが、一読すれば分かるように、私の主張は、リベラル・左派による佐藤優の重用は、リベラル・左派が、改憲後の国家体制に適合的な形に再編されていくプロセスであって、改憲後は、比喩的に言えば、イスラエルのリベラルのようなものになるだろう、というものだった。誰が、リベラル・左派が「右翼」になるなどと言ったのか?「国益」中心主義を保守派と共有し、「イスラエルのリベラルのようなものになる」ことは、無論「右傾化」の一種である。だが、「右傾化」を批判することと、批判対象が「右翼」と同じだとすることは明確に違う。この批判者は、私の論文が、「共産党は議会制民主主義を認めるからすでにブルジョア政党だとレッテルをはる△○派と同じ論理」を使っていると主張しているのだから、ここでの「右翼論壇」という用法が、「右傾化」ではなく、「右翼」と同一のものとしての「論壇」を意味していることは明らかだ。要するに、ここでこの批判者は、私の主張を捏造した上で、極左・セクト的として戯画化しているわけである(注1)。 したがって、この批判者の決めつけが私の論文の実際と異なることは明らかだが、ここで考えたいのは、この批判者は、私の論文を読んで、多分本気で、私が、リベラル・左派と右翼は同一だ、と言っていると思ったのではないか、ということである。 これは、この批判者に、リベラル・左派の独自の社会的責任、という認識が欠落していることを意味している。 自明だと思ったので論文では書いていないが、リベラル・左派が佐藤を重用することと、保守派が重用することの社会的効果は違う。リベラル・左派が佐藤を重用することは、世間一般の人々やリベラル・左派の読者に対して、「左派が佐藤を使っているくらいだから、佐藤の主張もそんなにひどくないのではないか」と、佐藤が主張しているような排外主義的な主張への違和感、抵抗感を薄める結果になるだろうし、実際そうなっているだろう。保守派とは別の意味で、リベラル・左派には、佐藤を使うことについての社会的責任がある、ということだ。 この批判者は、リベラル・左派が佐藤を使うことの社会的効果の独自性という観点が、視角から欠落しているのだ。だからこそ、私の論文を読んで、私がリベラル・左派と右翼は同一だ、と言っているとしか認識できないのである。逆に言うと、佐藤を支持するリベラル・左派には、リベラル・左派の社会的責任、独自の役割という認識が欠落している、ということがここから読みとれよう。
by kollwitz2000
| 2007-12-23 23:33
| 日本社会
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