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2007年 12月 23日
④エリート意識
もう一つの特徴として、②でも少し触れたがこの批判者の、エリート意識が挙げられる。これは、最近の「リベラル」系知識人全般に見られるように思う。 このブログから一例を示せば、私の論文への批判のエントリーは、以下のような書き出しで始まっている。 「ヴェネズエラでチャベスによる憲法改正が否決された。韓国で大統領選が迫っている。/反米左翼の大統領なら政治的自由を制限しても許容する?金大中、盧武鉉とこれだけ急速に社会が動いた韓国で、また次も革新の大統領を選び出すべきなのか?・・・・・・激動する政治状況のなかでの選択は、安易な政党帰属party affiliationを許さない。自分の頭で考えなければならないだろう。/日本の古い「革新系」の信条を持った人たちが、ヴェネズエラや韓国のような針路なき政治情勢のもとで、「指導部」から与えられた公式見解なしに、どのような自律的判断が出来るのか、少し疑問だ。安易な政党帰属party affiliationなど無いほうが、その人の政治的判断力と政治的自律は、鍛えられるのではないだろうか。」 コメントの必要もあるまい。現在の「論壇」の「リベラル」の思考法やら紋切型しか持っていない、「自分の頭で」考えることの全く出来ないこの批判者が、一丁前に、お説教賜って下さっているわけだ。また、私に対しても、「現下の飢えを我慢する自制心と、そうすれば春に大きな収穫があるはずだという予測能力を持てない」などと言っている。「予測能力」などと、「能力」の問題とされているのだ。この批判者は、私が論文で、総連系団体の政治弾圧を佐藤が擁護していることを指摘していることも当然読んでいるだろうから、同じ在日朝鮮人として私がそのことを問題にしていること自体を、「現下の飢えを我慢する自制心」がないとしていることは明らかである。よく言えたものであるが、では、こうした弾圧を「我慢」すれば、どんな「収穫」があるというのか。佐藤はそもそも安倍政権の擁護者だったではないか。安倍政権が倒れたことは、「我慢」とは何ら無関係ではないか。 つい最近も、熊本朝鮮会館の固定資産税等減免税措置を、「在日朝鮮人の私的利益」として(これは、在日朝鮮人をコミュニティの構成員としては認めないことを、国家として宣言したことを意味している)否定した、福岡高裁判決(2006年2月2日)を、最高裁は上告棄却して追認したが(11月30日)、これに対してリベラル・左派からは何ら批判的な論評は出ていない。福田政権になっても、「収穫」など、どこにも現れていないのである。論理も状況認識も滅茶苦茶ではないか。また、朝鮮人は「自制心」を欠いているという主張が、<嫌韓流>の特徴的な言説の一つであることはよく知られていよう。私は論文で「人民戦線」的思考法を批判しているが、この「大学4年生」は、その批判自体に反論するのではなく、<嫌韓流>的な認識と、エリート意識の混在のもと、論理も状況認識も滅茶苦茶な論法を動員しているのである。 重要な点は、この批判者が、1980年生まれで、現在「大学4年生」であることだ。東大生であれ、明らかに、「エリートコース」からは外れている。なぜこれほどのエリート意識を持っているのかは謎であるが、このことは逆に、現在のリベラル系知識人のエリート意識がいかに自明とされているかを照らし出している。『論座』あたりで書いている、若手のリベラル系知識人など、特にひどい。この批判者の場合、③でも指摘した、愚民観が最悪の形で露呈しているものだ。 これまで、この批判者の私への批判の文章の特徴として、4点挙げたが、これは、冒頭で述べたように、<佐藤優現象>に乗っかるリベラル・左派全体の特徴でもある。さすがにこの批判者は程度が低すぎる(注4)、他のリベラル・左派はここまで酷くない、という声もあるだろう。だが、多かれ少なかれ、感情としては、この批判者と似たり寄ったりではないか。この批判者は正直かつ無恥だから、自分の文章の救いようのなさに気付かずに書いてしまっただけで、あまり違いはないのではないかと思う。また、この批判者のブログで、その読書傾向を見れば分かるように、この批判者は、主として近年のリベラルで重用される書き手やその著書・論文によって、知的(?)形成を遂げているように思われる。したがって、近年のリベラルの論理が、却って純粋に表現されており、<佐藤優現象>を擁護するリベラル・左派のメンタリティを考える上で、ある意味で好都合であると私は考える。 <佐藤優現象>は、この批判者に露呈している論理・衝動を全面的に否定することでのみ、初めて乗り越えられるだろう。 (注1)そもそも、この批判者の論理の前提自体が成立していない。この批判者は、「△○派」の主張として、「イラク戦争を支援する日共」「小泉政権を黙認する学生自治会」といったものを挙げているが、「日共」自体がイラク戦争を支援しているわけではなく、「学生自治会」自体が小泉政権を支持しているわけではあるまい。ところが、リベラル・左派は、排外主義的主張(その具体例は論文に記した)を主張している佐藤優を、実際に使っているわけである。私が実際に起こっている自体を批判していることに対して、この批判者が挙げる「△○派」は、実際には起こっていないことを「批判」しているわけだ。ここでまず、私の論文が、あたかも実際には起こっていないことを妄想して批判している、と読者に思わせようとする記述を行なっている。 (注2)興味深いことに、ある佐高信ファンは、この批判者とほぼ同様の論理構成で、『金曜日』が佐藤を使うことを擁護している。「佐藤氏は正論、諸君!、SAPIOといった右派系の雑誌にも登場して、元外務省職員としての「国家主義者」いわゆるザインとしての国家を認める立場で執筆活動もされています。/そして産経のサイトやSAPIOなどで日本が国家としての外交政策はどうあるべきかということを論じております。/しかしながら、9条改憲、そして日本国憲法のすべては改めるべきではないという独自の主張もおこなっています。」私が聞きたいのは、佐藤を「護憲派」として擁護する人々は、集団的自衛権の行使の容認等も含めた解釈改憲論者まで「護憲派」と見なすのか、ということである。非常に簡単な話なのだから、その点をはっきりさせてくださいよ。 論文でも指摘したように、佐藤の盟友である山口二郎をはじめとした、リベラル系の政治学者が提唱した「平和基本法」(特徴としては、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化 、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加 、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった点が挙げられる)が、解釈改憲論的な構成になっており、改憲派と主張自体は大して変わらないことからも明らかなように、<佐藤優現象>に乗りかかる護憲派ジャーナリズムは、そうした解釈改憲論は許容範囲であって、明文改憲ではなく、立法改憲(「安全保障基本法」制定などによる)ならばよい、と思っているふしがある。 (注3)小谷野敦は自身のブログで、佐藤の名前も挙げつつ、最近では、「「かっこいい右翼」VS「凡庸な保守派」」という図式が出来ており、「前者と後者はどこがどう決定的に違っているのかといえば、別に何もない。単に後者は大衆向けで、前者はインテリ向けだというだけ」、「単に、前者のほうがかっこよさそう、という雰囲気の問題でしかない。単に自分はインテリだと思いたいだけの連中が群がっているだけ。あほらしい。」としている。佐藤のように、街宣右翼と違って護憲派ジャーナリズムにも礼儀正しく、「インテリ向け」の右翼ならば、護憲派ジャーナリズムは「リベラル保守」だと勝手に見なしてくれるわけだ。 (注4)この批判者のブログのコメント欄の、批判者の友人らしい「K」なる人物は、この批判者に輪をかけて酷い。この佐藤信者は、「左派メディアの柔軟性のなさが、佐藤優が受容される基盤をつくっている」なる意味不明の言辞はさておき、私のことを「金光氏」と呼び、「佐藤を批判するなら、佐藤の特徴そのものを丁寧に指摘して、彼を相対化すべきでしょう。「下らない処世術」とか「民族排斥」とかで一般化せずに。」と書いている。私の名前すらちゃんと認識しておらず、一読すれば誰にでも明らかなことだが、私が論文で、佐藤の言説を数多く具体的に引用し、まさに佐藤の主張・論理の特徴を指摘して批判していることも分かっていない。要するに、この人物は、私の論文も読まずに、匿名で批判しているのだ。
by kollwitz2000
| 2007-12-23 23:41
| 日本社会
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