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2008年 01月 18日
少し前の話になるが、佐藤優の「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」が、『金曜日』のホームページで全文掲載され(2007年5月11日)、現在でも読むことができるようになっている。
http://www.kinyobi.co.jp/news/?p=211 『金曜日』によるホームページでのこの全文掲載自体が、『金曜日』の佐藤への異様なほどの入れ込み具合を示していることは、既に指摘されている。また、この全文掲載に対する私の見解も、既に書いた。 なお、この公開質問状の質問25~27について、言及されている小谷野敦は批判しているが、『金曜日』は、小谷野による佐藤への返答を、ウェブページに掲載することを拒否し、また、佐藤自身も、小谷野による批判に対してまともに答えていない。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070524 さて、本題に入ろう。前から不思議なのは、佐藤の「公開質問状」の「質問19」が、未だに訂正または削除されていないことである。「質問19」を引用しよう。 「質問19.「読書する大衆」という記述について (1)《「思考するメディア」「読書する大衆」をターゲットとする戦略》(19頁)という記述がありますが、ここでいうターゲットの意味を説明してください。 (2)私が「読書する大衆」という言葉を用いたことがあるか、あるとするならばどこで用いたかについて明示してください。 (3)私は「読書する大衆」という認識をもっていません。従って、そのような言葉を用いた記憶がないのです。それにもかかわらず、カギ括弧つきであたかも私の発言であるかの如く「読書する大衆」という記述を大鹿さんがなされた真意について釈明を求めます。」 だが、佐藤は『獄中記』(岩波書店、2006年12月刊)で、以下のように書いている。 「どうも法律の世界というものが信用できない。法律という擬制の下で、政治的力関係を処理しているように思えてならない。この点についても国策捜査との絡みで考え方を整理してみる必要がある。/読書する大衆、すなわち活字メディア(月刊誌)の読者をターゲットとする。『世界』、『論座』あたりが狙い目か。メディアの役割は決定的に重要である。ワイドショー型公共圏により、真紀子VS宗男の二項対立ができあがる。プロレス型。鈴木が悪役レスラー(ヒール)に。」(『獄中記』47頁。「(注・2002年)7月2日」付の記述) 「読書する大衆」と佐藤自身がはっきり書いているではないか。ある人物の言明において、これほど誤りが明白な事例も珍しいだろう。 私は、かなり前にこの誤りに気づいたとき、佐藤の間抜けさに笑うだけで、そのままうち捨てていたが、一連の佐藤の言動や振る舞い、それを問題にしない護憲派ジャーナリズムの姿勢を見るにつけ、この件は<佐藤優現象>を考えるにあたって、本質的な問題を示唆しているかもしれない、と思うようになった。 『獄中記』の「読書する大衆」をめぐる記述と、「質問19」に整合性がないことは、誰の目にも明らかである。『獄中記』はベストセラーなのだから、仮に、「公開質問状」の『金曜日』ウェブページ掲載時には、佐藤や『金曜日』編集部が『獄中記』の記述を忘れていたとしても、その後、『獄中記』の読者から、何らかの形で佐藤もしくは『金曜日』編集部に『獄中記』での記述が指摘されることはなかったのだろうか。佐藤の取り巻きや佐藤ファンは佐藤に忠告しなかったのだろうか。『金曜日』読者は、編集部に質問しなかったのだろうか。指摘がなかった、と考える方が不自然だと思うのだが。また、佐藤や『金曜日』編集部は、「公開質問状」掲載後に、『獄中記』の記述に気付かなかったのだろうか。 「公開質問状」掲載後(もしくは、掲載時点で実は気付いていた可能性すらあるが)、この件に関する認識があったにもかかわらず、体面上などの理由から放置しているとしたら、佐藤および『金曜日』編集部にとって、正確さや公正さなどというものはどうでもいい、ということを示している。一連の佐藤の振る舞いや、佐藤を使い続ける『金曜日』編集部の姿勢から推測するに、これくらいのことは平気でやるだろう。 また、「質問19」における、佐藤の「読書する大衆」発言に関するヒステリックな否認の身振りを見れば、「読書する大衆」へのマーケティングという佐藤の戦略は、佐藤にとっての企業秘密だったのかもしれない。確かに、佐藤が「活字メディア(月刊誌)の読者」を「大衆」だと認識していること(多分、現在の佐藤の読者についても、佐藤自身はそう思っているだろう。佐藤がこれほどまでに、「読書する大衆」という認識を持っていることを否定するのは、佐藤が自分の読者を実は愚民視していることを隠したいからのように思われる)、リベラル・左派の「論壇」の傾向と対策を勉強し、それに合わせて言説を展開しているらしいこと等が伺われる、好資料ではある。それにしても、記憶違いはさておき、「私は「読書する大衆」という認識をもっていません」などと、よく言えたものである。これは記憶違いというより、嘘ではないか。
by kollwitz2000
| 2008-01-18 01:01
| 佐藤優・<佐藤優現象>
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