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2008年 04月 28日
2月5日の記事「佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について」①で、1月10日の3者の会合内容のあらましを記した。佐藤からの、これに対する言及を待ったが、結局、3ヶ月近くになる今日に至るまで、具体的なものは何ら現れなかった。
会合での佐藤の言い分(とされるもの。『インパクション』編集長から確認が取れないため、このように留保をつけなければならないのが極めて不快である)が、論理の体を成していないことは一目瞭然であろうが、以下、ポイントを指摘しよう(以下、注は(4)でまとめている)。 まず、佐藤は、『週刊新潮』の記事(「佐藤優批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」(『週刊新潮』2007年12月6日号)のこと。以下、文章中での「『週刊新潮』の記事」とは、この記事を指す)で、私の論文(「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)のこと。以下、文章中での「私の論文」とは、この論文を指す)について、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」と言っているのだから、佐藤は、 A.「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたような箇所は、金の論文内のどこなのか、具体的に挙げること B. Aで佐藤が挙げる箇所が、単なる金のミスではなく、「言論を超えた私(注・佐藤)個人への攻撃」と言うべき水準のものであることを示すこと が、当然できていなければならない。 ところが、2月5日のブログ記事の①で述べたように、佐藤が言う、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所というのは、<佐藤の言う「人民戦線」とは、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除した「国民戦線」のことだ>という、私の主張を指しているらしいのである。佐藤は、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除すべきなどとは自分は言っていない、と述べていたとのことである。 それでは、論文から、該当すると思われる箇所を抜き出しておこう。論文「<佐藤優現象>批判」の、「7.「国民戦線」としての「人民戦線」」内の箇所である。 「私が興味深く思うのは、佐藤の論理においては、「日本国家、日本国民の一体性」を守る観点からの、それらの人々―経済的弱者、地方住民、沖縄県民、被差別部落出身者―の国家への包摂が志向されている点である。「国益」の観点からの、「社会問題」の再編が行われている。この論理は、改憲後、リベラル・左派において支配的になる可能性が高いと思われる。 この包摂には、基本的に、在日朝鮮人は含まれない。ここがポイントである。ただし、「反日」ではない、日本国籍取得論を積極的に主張するような在日朝鮮人は入れてもらえるだろう。佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である。」 これのどこが「「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所なのだろうか?佐藤が問題視しているらしい私の主張は、現在の社会情勢を背景において、私が佐藤の発言に下した「解釈」であることは、論文を読めば、誰の目にも明らかであろう。 例えば、私は論文で、以下のように述べている。 「佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(〈地球を斬る〉二〇〇六年四月一三日「北朝鮮からのシグナル」)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(佐藤優「対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら」『別冊正論Extra 02決定版 反日に打ち勝つ!日韓・日朝歴史の真実』二〇〇六年七月)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」(注・入稿時にはこうなっていた。原文が「声」となっているのは『インパクション』編集部のミス)は考慮すらされてない。 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年(注・2007年)の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(佐藤優・和田春樹「対談 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題をどう見るか」『情況』二〇〇七年一・二月号)。」 「佐藤は、日本がファシズムの時代になり、「国家に依存しないでも自分たちのネットワークで成立できる部落解放同盟やJR総連の人たち」が叩き潰されると、左右のメディアも弾圧されて結局何もなくなると主張する(「国家の論理と国策操作」『マスコミ市民』二〇〇七年九月号)。ところが、佐藤は同じ論文で、緒方重威元公安調査庁長官の逮捕について、「国民のコンセンサスを得ながら朝鮮総連の力を弱める国策のなかで、今回の事件を(注・検察は)うまく使っている」と述べており(傍点引用者)、朝鮮総連の政治弾圧には肯定的である。この二重基準に、「国民戦線」の論理がよく表れている。「国民戦線」の下では、「人権」等の普遍的権利に基づかない「国民のコンセンサス」によってマイノリティが恣意的に(従属的)包摂/排除されることになる。」(注・論文の注55より) 上記の引用からも明らかなように、私は、根拠を明示して、「佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である」と「解釈」しているのである。これで、在日朝鮮人(朝鮮総連?)を排除すべきなどとは佐藤自身は言っていないから、金は、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたのだ、などという主張が成立するならば、およそ言論など不可能だろう。呆れるほかない(注1)。 それにしても、私は、『週刊新潮』の記事を読んでから、佐藤が私の論文のどの箇所を指して発言しているのか訝しんでいた。実際、佐藤優ファンのブログでも、私を「かなり極端な左で固まった方」としながらも、私の論文について、以下のように書いている。 「本日入手で全部読めてないのですが、佐藤さんが上記(注・『週刊新潮』の記事での佐藤の発言)で言われるように言ってもいないことを書いているようなひどいものではないと思います。内容は以前「諸君!」に出た柏原竜一氏とはだいぶ違って詳細に出展(注・ママ)を読んでいることは明白です。」 もし実際に、佐藤が論文のこの箇所を主な根拠として、『週刊新潮』の記事での発言を行なったのだとしたら、これはもはや「言論」に携わる人間としてはおろか、一般の社会常識すら超えた主張である。 無論、佐藤の『週刊新潮』の記事での主張を額面どおりに受け止めれば、この箇所以外にも、佐藤が、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いたとしている箇所や、他に「無茶苦茶な内容」とする理由がありうることになるので、即断はできないが、それらの箇所がこの「国民戦線」云々と同じレベルであれば、論外である。もし、「私(注・佐藤)が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所が、「国民戦線」云々のレベルを超えないのであれば、佐藤が私に対して行なったことは、重大な名誉毀損である。 佐藤は、私の論文に対して、反論記事を書くつもりはないと述べているとのことである(2月5日記事の③)。一体何様のつもりなのだろうか。佐藤は、1月10日の会合では、『週刊新潮』での同発言に関しては、(記者が発言内容を誤って伝えているのではなく)佐藤自身の発言として認めたとのことだ(2月5日記事の②)。そうであれば、佐藤は、少なくとも上記のAとBを、『週刊新潮』と同じく公的な場で行う義務、私に対して公的に反論する義務がある。佐藤が反論するとなれば、場を提供しようというメディアはいくらでもあろう。 ひょっとすると、佐藤は、『週刊新潮』の記事での発言内容の意味するところが問われることを、想定していなかったのかもしれない。『週刊新潮』の記事が出て、金が黙れば、佐藤自身は、論文に憤慨している身振りを保持しているだけで済むからである。 私は、2月5日記事で、「1月10日の会合において、佐藤・安田氏側と深田氏の間で、会合内容の詳細を私には伝えない、という密約が交わされた可能性もある」と書いたが、もし佐藤の『週刊新潮』での発言内容の意味するところが「国民戦線」云々レベルだったのならば、佐藤・安田側は、当然必死で隠そうとするだろう。「密約」を推定する理由の一つである。 2月5日記事の④⑤も、話にならない。④については別のところ(ここやここ)で既に何度も述べたので繰り返さない。 ⑤に関しては、『金曜日』編集長が、一読者に対して、『金曜日』編集長として送ったメールなのだから、内容には十分公共性があろう。メールを公開したのが法的に問題、というのならば、それは、『金曜日』と片山氏の間の問題である。 ④にしても⑤にしても、佐藤が発言したとされる内容は、「言論人」というよりも、岩波書店や金曜日の(会社ベッタリの)社員のような発言である。公的に言論を行使する人間(つまり、潜在的には全ての一般市民)という意味での「言論人」としても、この発言内容の醜悪さは明らかである。 ⑥に関しては、基本的には『インパクション』と佐藤の間の問題であるが、これは、③とセットで考えるべきだろう。佐藤は、私の論文に反論しないかわりに、『インパクション』で佐藤の論文を掲載させることによって、私の批判の左派への影響力をそぎたい、と考えたのではないか。
by kollwitz2000
| 2008-04-28 00:00
| 佐藤優・<佐藤優現象>
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