|
カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2008年 07月 27日
憲法9条を理想化し、偶像視する言説は数多い。9条は人類の平和思想の理想が体現されている、9条は現代世界の進むべき方向性を提示している、と。現実の「平和憲法」体制は、韓国の徴兵制や沖縄の米軍基地とワンセットだと思うのだが、護憲派からは、「9条を輸出せよ!」という言葉まで聞こえてくる。今の護憲派は、暗黙のうちに、民主党や朝日新聞の軍事的国際貢献路線までも「護憲派」に数えているが、これも、「素晴らしい憲法9条を変えないでくれればそれでよい」という心性があるからである。
とはいえ、私も、「<佐藤優現象>批判」で何度も書いているように、改憲に反対する立場では護憲派と同じだ。ただし、後述するように、それは朝鮮人、一アジア人としてであって、日本人と同じ立場からではない。 さて、私の疑問は、憲法9条とは、もっと散文的なものではないか、ということである。憲法9条は、崇高な平和思想に源流をおくものなのだろうか。 多分、そうではないのではないか。私見によれば、憲法9条の原案を構想したGHQや、憲法9条の成立を受け入れた連合国の人々は、憲法9条を、第1次世界大戦で敗北したドイツに課せられた、ヴェルサイユ条約による軍備制限の延長上で捉えていたのではないか(注)。 周知のように、憲法9条は、アメリカが、天皇制を存続させて円滑な占領統治に利用しようとしたために、他の連合国からの反発に配慮してつくられたものである。連合国からすれば、天皇制に象徴される強力な旧勢力が温存されるということは、早晩、日本の軍国主義が復活することを意味するから、それを予防するために、第1次世界大戦後のドイツへの軍備制限よりもはるかに強力な、「戦力放棄」を押し付けた、ということではないのか。当時のGHQや連合国は、日本への措置を考えるにあたって、当然、第1次世界大戦で敗北したドイツが念頭にあったはずである。だから、明文改憲または安全保障基本法制定による立法改憲(民主党系のも含む)は、比喩的に言えば、ヒトラーのドイツ再軍備宣言と同じ意味合いである、ということになる。 なお、ドイツの場合、憲法9条の対応物が、「東西分断」であろう。実際に、ドイツ統一に対して、イギリスやフランスやイスラエルは危惧を表明しており、エリー・ヴィーゼルのようなユダヤ人知識人やギュンター・グラスのような左派知識人は反対している。 こんなことを言うと、それは、日本の右派と同じ「押し付け論」ではないかと言われるかもしれないが、ある意味でその通りである。ただし、右派の押し付け論と違うのは、右派の主張では、憲法9条は、日本が再び強大国となることを恐れたアメリカが押し付けた、ということになっている点である。だが、当時のアメリカとしては、沖縄を軍事占領しているため、自分たちがコントロールできない形で日本が軍国主義化しようとしたとしても、本土を空爆して簡単に潰せるわけだから(これは今もだ)、憲法9条自体はさして必要ではなかったろう。だから、憲法9条をアメリカを通じて日本に押し付けたのは、周辺諸国であり、特に近隣アジア諸国だ、というのが私の理解である。 したがって、「押し付け」だから憲法9条を廃棄するとか、「ねじれ」を解消するとかとは全く逆で、「押し付け」だから守ってくださいよ、ということである。強大な旧勢力が残存し、過去清算もろくに行なわれず、「大日本帝国」との断絶という歴史認識も社会的に確立していない状況で、改憲するのはやめてくださいよ、ということだ。実際に、現在の右傾化も、靖国参拝や歴史教科書修正、戦前の日本人(特に在朝日本人)の歴史観・朝鮮(人)観を濃厚に引き継いでいる<嫌韓流>をはじめとして、旧勢力の残存があってはじめて成立しているのだから。したがって、「<佐藤優現象>批判」ほかでの私の改憲反対論は、日本の侵略・植民地支配を受けた近隣諸国のアジア人と同一の立場であり、日本の左派や現在の姜尚中のような、「日本に愛着心または帰属意識があるから日本の右傾化を批判する」という立場とは別である。 戦後の日本の護憲運動・平和運動は、右派の憲法押し付け論に対抗するために、憲法9条の構想・制定にあたっての日本人の役割や、そもそも押し付けかどうかという議論自体の無効性を強調することが支配的だったように思うが、こうした流れは、憲法9条が特にアジア諸国からの「押し付け」であったことを忘却させてしまったように思う。それは、戦後の護憲運動・平和運動において、加害責任の認識が薄かったことの反映でもある。こうした一国主義的性格は、現在の護憲運動・平和運動の脆弱さ、例えば、簡単に<佐藤優現象>に乗っかってみたり、民主党に色目を使ってみたり、「加害」の点を強調する(これ自体がそもそも多くないが)のはやめて「被害」の側面を強調する方向にシフトしたり、といった点ともつながっている問題だろう。 (注)もちろん、9条の源流が平和思想にないとしても、9条の理想を実現させようという立場はありうる。ただしそれは、本文からの論理的帰結だが、日本の旧勢力と闘い、日本国民の侵略と植民地支配に関する政治的責任を果たそうとする姿勢が伴わなければ、整合性がないだろう。そうした姿勢の護憲派の人物に私は敬意を惜しまない。
by kollwitz2000
| 2008-07-27 00:00
| 日本社会
|
ファン申請 |
||