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2008年 07月 28日
最近発表された、菊池恵介「植民地支配の歴史の再審――フランスの「過去の克服」の現在」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社、2008年6月)所収)は、フランスにおける植民地主義の問い直しに向けた動きとそれへのバックラッシュの相克を描いた、大変有益な論文であるが、『週刊朝日』の「いい加減にしろ!韓国人」の見出しについて考える上でも、重要な示唆を与えてくれる。
菊池は、現代フランスにおけるマイノリティー排除の論理を、「共和主義的レイシズム」として分析する、ピエール・テヴァニアンの見解を紹介している。菊池の文章を引用しよう(強調は引用者)。 「(注・テヴァニアンは)国民共同体の文化的マジョリティーの側が、「共和国」対「共同体主義」という虚構の二項対立を作り出し、フランス共和制の礎となる普遍的理念の名において、マイノリティーの排除を正当化しているというのである。たとえば、2003年のフランスでは、イスラム・スカーフを着用して公立学校に登校した少数のアラブ系女子学生が、「政教分離」と「女性解放」の名の下に排斥された。「女性蔑視のシンボル」と一義的に断定されたスカーフをまとう彼女たちは、「家父長制に屈した娘」として主体性を否定され、さらに、学校側の説得を聞き入れようとしなかった者たちは「原理主義に洗脳された娘」として排斥されたのである。こうして、だれもが賛同する普遍的理念の名の下に、同化圧力に抗う少数者を糾弾し、沈黙させるところに、テヴァニアンの指摘する「共和主義的レイシズム」の本質がある。」>(注) そして、菊池は以下のように続ける。 「これ(注・「共和主義的レイシズム」)が厄介なのは、普遍的理念に訴えるため、人種主義とは一見無縁であり、従来の極右支持層を超えて、広くリベラル左派層にも支持される点である。」 今回の『週刊朝日』の見出しについて、この観点から考えてみよう。記事が言いたいのは、要するに、韓国人は、反日ナショナリズムという「原理主義に洗脳された」人々であり、ナショナリズムの狂騒から脱している「大人」の自分たち日本人から見れば、感情的で非理性的で半人前な連中だ、ということだ。「脱ナショナリズム」という「普遍的理念」の下にあるからこそ、レイシズムが正当化されているのである。 今の日本で支配的なレイシズムというものは、リベラル・左派論壇の紋切型のように、現実社会に適応できない「負け組」の人々が抱く認識、あるいは、戦前からの差別意識を踏襲した復古的な認識、というだけでは説明できないだろう。むしろ、「脱ナショナリズム」という「普遍的理念」を自分たちが保持していると考えているからこそ、レイシズムが正当化され、再生産されるのだ。もちろん、こうした「共和主義的レイシズム」は、従来からの差別意識と絡み合っているだろう。 だから、『週刊朝日』の見出しも、朝日にもかかわらずこのような見出しを付けたというよりも、朝日的なリベラルこそ、「共和主義的レイシズム」に、右派メディアよりもより容易に感染するという側面から考えるべきであろう。事情は、所詮は民族主義への認識や共感がろくになかった「戦後」の子どもである右派でも大して変わらないが、リベラルの方が、自分たちは「普遍的理念」の下にあるという自意識が強いから、「戦前からの差別意識」とは別の位相から、そうした従来からの差別意識と絡み合いながら、「共和主義的レイシズム」により容易に感染するのである。 (注)興味深いことに、護憲派の著名な憲法学者である樋口陽一は、このイスラム・スカーフの着用での登校を禁止するフランス政府・学校当局の措置を、「政教分離」の観点から擁護している。
by kollwitz2000
| 2008-07-28 00:00
| 日本社会
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