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2009年 02月 18日
村上春樹のエルサレム賞受賞については大して興味がなかったのだが、前回も書いたように、受賞スピーチへのメディアやウェブ上の賛美には本当に唖然とさせられる。
スピーチの全文は、下のリンク先にある。 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html 翻訳はウェブ上にいくつかあるが、便宜上、その下のものを使わせていただく。 http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290 村上は言う。 「しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたくなる傾向があるのです。 あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれません。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができないのです。 それが今日、僕がここにいる理由です。 僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました。」 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日本での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 村上は、「自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができない」、「目を反らすよりも見つめる」などと言うが、イスラエルに行きたければ、私費で行くか、どこかの出版社にイスラエルへ行きたいとでも相談すれば済む話である。なぜこんな稚拙な言い訳がまかりとおっているのだろうか。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 イギリスの「ガーディアン」は、村上のスピーチについて、 “Murakami defies protests to accept Jerusalem prize” という見出しで報じている。問題の本質を正確に捉えていると思う。 http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/16/haruki-murakami-jerusalem-prize 受賞式への出席に関しては、イスラエルの「エルサレム・ポスト」も、 “Defying boycott pressure, Japan's Murakami heads to Israel to accept Jerusalem Prize” という見出しの記事を掲載している。これも、問題の本質を、イスラエルのメディアが正確に理解している、ということである。受賞拒否さえなければそれでいいのだ。 http://pqasb.pqarchiver.com/jpost/access/1646126041.html?dids=1646126041:1646126041&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&date=Feb+13%2C+2009&author=STEVE+LINDE&pub=Jerusalem+Post&edition=&startpage=4&desc=Defying+boycott+pressure%2C+Japan%27s+Murakami+heads+to+Israel+to+accep だいたい、仮に、村上のスピーチがイスラエルのガザ侵攻への全面的な批判であると解釈するとしても(私にはそうは全然思えないのだが)、その程度の批判は、シオニスト左派も国内でいくらでも行なっていることである。イスラエルの国民からすれば、海外の知識人が、そうした見解を持っていることなど折込済みだろう。ウェブ上で、村上の発言がパレスチナの民衆を勇気付けることを期待する、といった声すら見かけるが、そうした声は、パレスチナ人を馬鹿にしていると思う。 村上のやっていることは、村上の多くの小説世界の主人公たる「僕」のように、肥大化した自己愛がだだ漏れしているだけだと思うのだが。テロにも対テロ戦争にも賛成しない良心的な私、という、2001年9・11以降の、対テロ戦争に関する上野千鶴子の立場のようである。 冒頭で書いたように、村上の受賞については、村上ならば受賞拒否はしないだろう、という感想しかない。ああ、またやってる、という感慨だけだ。こんなスピーチに感動する方がおかしいのである。特に、村上の受賞拒否を呼びかけていたらしいブログの人物が、このスピーチを絶賛し、「ボイコット示唆にも言及。嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやら楽しいやら」と嬉しそうに書いていたのを見たときは、絶句してしまった。 村上が、受賞式出席について、日本の自分への受賞拒否への呼びかけへの対抗から(論理的にはそうなる)正当化していること、パレスチナ人からどう映るかという認識が存在しないことは、興味深い。これは、萱野稔人の最近の主張に似ている。萱野はこのところ、外国人労働者の流入への反対やネット右翼容認論を展開しているが、その際には、従来の左派との違いの強調や、左派への説得はされながらも、萱野の言説によって被害を被ることになる外国人労働者や在日朝鮮人の人権は、はじめから考慮の対象に入っていない。これは、佐藤優が排撃する在日朝鮮人その他の対象の人権を考えず、佐藤優を自分たちの味方として宣伝しようとするリベラル・左派とも同じ構図である。
by kollwitz2000
| 2009-02-18 00:00
| 日本社会
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