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2009年 04月 27日
『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日本』と4月8日に共同集会を開いた。
http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』本誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行ってくれたほうがいい、その方が、世間一般にとっても『金曜日』という雑誌がどういう雑誌かわかりやすくなる、というのが私の認識である。 というわけで、『金曜日』の最新号(2009年4月17日号)には、編集部員によるこの集会の報告が、掲載されている。見てみることにしよう。 http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=586 業界初!!イベント 「右」「左」が共同開催 『月刊日本』と『週刊金曜日』共同講演会「貧困とテロ、クーデター」が八日、東京で行なわれた。「右」「左」を標榜する両誌が共催するという、業界初の試み。青木理氏進行のもと、雨宮処凛氏、佐高信氏、佐藤優氏、山崎行太郎氏が出演した。 山崎さんは「左右ともに思想の力が衰退している。両者が論理的に対立しない限り、テロやクーデターには転化しない」として、思想の問題を話し、佐高さんは「会社に対する視点が左右問わず弱い。思想戦だけやっていたら会社は逃げていく」と、批判の矛先を国家ではなく、会社にも向ける必要があるとした。 「生存運動は思想以前の問題。なのに意志を持って行動すると治安の対象になる」と雨宮さんが現在の警察権力の動きを危惧すると、佐藤さんは「テロ(ル)とは恐怖。政治を動かすには権力に対するテロが必要。派遣村も権力に対して恐怖を与えたならテロ。左右問わず、いろんな形のテロをやるべき」と話した。 五月一日には本誌と『週刊プレイボーイ』共催「カード会社から過払い金を払い戻せ!!」が東京ウィメンズプラザホールで行なわれる予定だ。 「業界初!!」って・・・。そもそも「業界」って何?この編集部員は、「業界初」であることに誇らしげであるが、仮にそれが事実であるとすれば、そんな馬鹿げたことはさすがにどれほどひどい「左」でもやらなかったというだけの話だ。その『月刊日本』という「右」は、日本の植民地支配を建前だけでも批判しているのか?戦前の日本の侵略やアジア諸国での虐殺を、建前だけでも批判しているのか?もし批判しているのならば、それはどういう根拠で「右」と言えるのか? この「業界初の試み」に言及して、『月刊日本』とは別系統らしいある右翼は、「戦前にも国家の革新を目指す青年達は思想を超えて集ったと聞いたことがある」と述べているが、的確に本質を捉えていると思われる。まさにこの「業界初の試み」は、右翼と転向左翼が提携して推進した、戦前の国家主義運動に極めて類似的である。 http://blog.goo.ne.jp/sekiseikai_2007/e/04f064255c71681f1c64ba5e1dfa65a1 これまでの言説・運動の流れに即して考えると、この合同講演会を指標として、一つの政治的なグループ(の原型)が成立したと思う。 この共同講演会は、共通の具体的な敵に対して、部分的に共闘する、というものではない。全体共闘である。 右翼との部分共闘にも私は嫌悪感を持つが、ここでは、それですらない。そのことは、この合同講演会ポスターの、「昨年、元派遣労働者による秋葉原無差別殺傷事件が起きた。元厚生事務次官の殺害事件ではメディアはこぞって「テロ」を疑った。われわれは今後、どのような時代を迎えるのか。また、それにどう立ち向かうのか。左右の論客が胸襟を開いて徹底討論する」という案内文が示している。相互不干渉の共同行動ではなく、「胸襟を開い」た「徹底討論」が必要とされているのである。 こうした全体共闘を支える論理と心性は、佐藤優の一連の主張もそうであるが、少し前に『金曜日』の編集委員に就任した中島岳志の「勇気と寛容の精神をもって、左右の「バカの壁」を崩していかなければなりません」という主張(佐藤のコピーのような発言だが)が、よく示しているだろう。この中島の主張は、この共同講演会や、「日本社会の「壁」を崩す」なる『金曜日』主催のイベントの文章からも明らかなように、『金曜日』という雑誌自体によって支持されている。 上記の、共同講演会の報告によれば、『金曜日』は今度は『週刊プレイボーイ』と共催のイベントを行なうという。周知のように、『プレイボーイ』もここ数年は、完全に排外主義・対外強硬論の論調であり、大規模な広告とともに、そうした主張を撒き散らしている。佐藤は『プレイボーイ』で連載を持っているが、こちらでは、『金曜日』での連載とは違い、最近のイスラエルのガザ侵攻に関しても、全面的擁護の論陣を張っていた。 『金曜日』の『月刊日本』や『プレイボーイ』とのイベント共催は、佐藤が橋渡しの役割を担っていると思われる。『金曜日』は、『プレイボーイ』の次は、同じく佐藤が連載している『SPA!』あたりとの共同でのイベントを行なうだろう。『SPA!』も周知のように、排外主義・対外強硬論の論調の雑誌である。こうした形で、「左右」の「バカの壁」(それにしても下品な言葉遣いだ)を崩して、「反貧困」または「脱格差社会」を旗印にして、ある一つの政治的なグループが、メディアレベルでは拡大していくように思われる。 私は、こうしたグループを、便宜上、「レイシスト的保護主義グループ」と呼んでおきたい。それは、レイシスト的な表象に基づき、経済的保護主義を主張するグループである。昔風の、「社会排外主義」と呼ばれるものに近い。このグループは、民主党の支持勢力とかなり重なる、かつて「抵抗勢力」と呼ばれた業界団体や利権団体の支持を得ていると思われる。中心人物として、佐藤優や山口二郎、田中康夫、中島岳志、萱野稔人といった人物を挙げることができよう。 そして、このグループは、韓国の同質の問題を含む運動体との「連帯」を表明したり、自分たちに追従する在日朝鮮人をグループに組み込んだりすることで、 自身の排外主義的主張への批判を回避しようとしていくだろう。 「在日特権を許さない市民の会」のような運動体への批判は重要であるが、私は、ヨーロッパと違い日本では、こうしたあからさまな人種主義団体はたいして大きくならないと思う。社会の支配的な価値観がすでにレイシスト的であるから、大多数の大衆は、人種主義団体に加入するほど不満や焦慮を抱いていない、ということである。したがって、人種主義団体だけを嘲笑し、罵倒しているのでは、あまり生産的な行為とは言えないだろう。 フランスの国民戦線のナンバー2であるブリュノ・ゴルニシュ(Bruno Gollnisch)の口癖は、「私たちは極右でも何でもない。日本のような移民政策を理想とするだけなのです」だと言う(国末憲人『ポピュリズムに蝕まれるフランス』草思社、2005年11月、後付ⅰ頁。強調は引用者)。国末は、フランスの国民戦線のデモに参加している若者の、「私たちも移民を制限すべきだ。日本のようにね」という発言も紹介している(同書98頁。念のため書いておくが、国末には、国民戦線の人々にここまで賞賛されている日本社会批判の視点はまったくない)。 天皇制ファシズムが、ヨーロッパ流のファシズムやナチズムを基本的に必要としなかったように、象徴天皇制下の日本社会も、大規模な人種主義団体を必要としないだろう。そうした団体は、鉄砲玉としての役割を果たせば足りるのである。 むしろ、新自由主義の進行による社会統合の破綻や、自身の没落に危機感を抱く中産階級の主張は、メディア上ではレイシスト的保護主義グループの言説として立ち現れるだろう。これから何回かに分けて、レイシスト的保護主義グループの言説の特徴、構造等について述べていく。
by kollwitz2000
| 2009-04-27 00:00
| 日本社会
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