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2009年 05月 25日
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「マガジン9条」というサイト(ウェブマガジン)がある。発起人や執筆者等からわかるように、佐藤優と結託する護憲派ジャーナリズムそのものと言ってよい。 http://www.magazine9.jp/ 最新号では、柄谷行人の新刊が書評で取り上げられており、以下のように結ばれている。 「「柄谷行人」を一部哲学・文芸ファンの占有物にしておくのはもったいない。これまで柄谷の言説になじみのなかった読者には、本書がガイドブックの役割を果たすはずだ。来たるべき自由で平和な社会にむけて、みんなでカラタニを読もう。」 http://www.magazine9.jp/rev/090520/ 好意的に考えれば、読者を笑わせようとしていると思われるのだが、多分この書評者は本気でこう言っているのではないか。この書評者(北川裕二)は、なんと、あのNAM関係者だったらしいのである。 http://groups.yahoo.co.jp/group/meta21/messages/1205?expand=1 私はNAMの主張それ自体にはあまり関心はなかった(ない)が、NAMを関係者たちがいかに総括したのか、いや、より正確に言うと、いかに総括しなかったかには関心がある。柄谷らに批判的な「重力」グループ周辺が批判的に総括した文章をかつて読んだように思うが、柄谷やその仲間たちによって公的になされた総括の文章は、読んだことがない。 柄谷はNAMの破綻後、「論壇」および出版産業周辺での影響力維持のために、岩波書店や朝日新聞との提携に進み、佐藤優を絶賛して佐藤とつるむなどして(佐藤が柄谷をあちこちでヨイショするのとどちらが先かは不明)、<佐藤優現象>の推進に大きな影響を与えている。NAMの崩壊が柄谷には相当深い傷になっているのだろう。 もちろん、NAMを総括しようがしまいが私には直接は関係ないが、この北川という人物は、NAMを総括せずに自らの影響力保持のために「論壇」でだらしなく延命しようとする柄谷に対して、呆れることに、いまだに太鼓持ちの役割を演じているわけである。しかも、柄谷が、<佐藤優現象>の推進という形で、害毒を撒き散らしていることを黙認(あるいは促進?)しながら。こういう人物がメンバーである団体というのは一体なんなのか。 2 というのは実は単なる前振りで、以下が本論である。その「マガジン9条」最新号の、憲法学者である田村理へのインタビューを読んで驚いた。以下、引用する(強調は引用者。以下同じ)。 「僕が批判する護憲派とは「9条の条文が変わらなければいいから、自衛隊や日米安保などと9条の矛盾をどうするかは当面議論しない」という考えの人たち、「中身はどうでもいいから改正しないために大同団結しましょう」と主張する人たちのことです。こう言いますと、多くの人は「自分は違う」と思われるでしょうね(笑)。でも、地方の9条の会等で、後にふれる2007年5月3日付『朝日新聞』の社説を批判すると、「理想はそうだけど、現実はね」という反応を多くもらいます。そんな方々は常識的な人たちですが、僕が批判する護憲派の可能性が高いんです。」 「世界情勢や国民意識の変化を理由に、かつてはあれほど反対していた自衛隊の海外派遣を朝日が認めてしまったことは、「現実主義」というよりは「なし崩しの論理」でしかない。これがまかりとおってしまえば、「世界情勢や国民の意識が変わった」からと、いずれ集団的自衛権の行使も認められてしまうでしょう。 この種の護憲論には、理想を目指す意志が全く感じられない。憲法は、国家=権力の現実を本来あるべき姿に近づけるためにあるはずなのに。そして、あえて厳しい言葉を使わせてもらえば「卑怯」です。徴兵も行ないません、戦争はしません、だから国民は戦争に巻き込まれません、でも国は僕たちを守ってくれるはずだし、国際貢献は必要だから自衛隊さんは頑張って……。ご都合主義的で、僕たちが負うべきリスクや責任も知らないふりです。この卑怯さには皆が気づいている。だから鼻白む。改憲派の批判に正面からこたえられる護憲派は少ない。これこそ護憲派のアキレス腱です。護憲派がなすべきことは、中身を問わない「大同団結」などではなく、9条が目指す理想とは何か、それを実現するために何が必要かについてのコンセンサスを見解の対立の中で鍛え、リスクも含めて国民に誠実に説くことではないでしょうか。」 http://www.magazine9.jp/interv/tamura/index2.php 田村理という人についてはあまり知らないし、引用元の文章を読んだ限り、私とスタンスも違うのだが、上の護憲派批判は、「<佐藤優現象>批判」以来、私がさんざん言ってきたことである。 この「マガジン9条」やこの辺の人たちは、私の批判には一切沈黙しておいて、今さらこういう田村の批判を載せて何がしたいのだろうか?この人たちは、憲法問題について、「中身を問わない「大同団結」」を主張する以外のことをほとんどやってきていないというのに。 その証拠を示せって?いや、以下の文章だけでも十分じゃないでしょうか。「マガジン9条」のスタッフの日記からの引用である。 「(注・2009年)1月10日(土)~13日(月) 夢を見た 内閣改造の 夢を見た 国会の予算委員会での審議が始まりました。 なんとも見ているのが辛い政治の惨状です。まともな言葉のぶつかり合いがない。(中略) そこで、もう少しまともな内閣って造れないものかなあ…と考えたのです。ま、あんまりいいことの思いつかない新年だから、個人的な夢の世界に遊ぶのもいいんじゃないですか。 というわけで、以下、私の勝手な組閣案です。 みなさんも、自分なりの内閣を考えてみたらいかがですか? これ、意外に面白い遊びでしたよ。 (中略) では、組閣開始―っ! ◎防衛大臣 伊勢崎賢治さん (東京外国語大学教授) (中略) ◎厚生労働大臣 落合恵子さん (作家、クレヨンハウス主宰)(中略) ◎財務大臣 金子勝さん (慶応大学教授)(中略) ◎金融・財政政策担当大臣 森永卓郎さん (獨協大学教授)(中略) ◎経済産業大臣 佐藤雅美さん (作家、主に時代小説)(中略) ◎外務大臣 坂本龍一さん (ミュージシャン)(中略) ◎文部科学大臣 重松清さん (作家)(中略) ◎総務大臣 上原公子さん (前国立市長)(中略) ◎法務大臣 伊藤真さん (伊藤塾塾長)(中略) ◎国土交通大臣 田中優子さん (法政大学教授、日本近世文化)(中略) ◎環境大臣 竹田津実さん (北海道在住の獣医、写真家)(中略) ◎国家公安委員長 鈴木邦男さん (作家、一水会顧問)(中略) ◎沖縄及び北方対策担当大臣 目取真俊さん (作家)(中略) ◎内閣官房長官 佐藤優さん (起訴休職外務事務官、作家) この凄まじい閣僚たちをまとめ上げるには、豪腕の持ち主でなくては務まらない。というわけで、佐藤優さんにケッテーイッ! あの鋭い目で睨まれたら、閣内不一致などといういまの内閣のような不様を晒すことはないだろう。 (以下略)」 http://www.magazine9.jp/tubuyaki/090114/ ・・・「マガジン9条」が実現を希望する内閣は、解釈改憲論者でかつ排外主義者(「<佐藤優現象>批判」その他過去記事参照)が官房長官を務める内閣である。この内閣は、麻生内閣よりもはるかに、イスラエルの軍事行動を積極的に支援していくことだろう。 3 こうした「中身を問わない「大同団結」」を支えているのは、大衆は、メディアによるプロパガンダの量によってどうにでも動く、という愚民観であるように思われる。典型的には、以下のような言説である。 「二〇〇四年の一月から三月にかけて、官舎や集合住宅にビラまきを行った人たちが、様々な理由付けのもとに逮捕されるという事件が起きています。(中略) これは、国家権力による言論や表現、思想の自由への弾圧以外の何ものでもありません。私たちの社会は今日、こうした弾圧が公然と行われるような社会になってしまっています。 しかし、こうした事実は実際にはあまり広く知られていません。メディアが大きく報道しないからですが、必然的に、世論においても批判する論調は非常に弱いと言えます。」(田島泰彦『この国に言論の自由はあるのか』岩波ブックレット、2004年8月、18~20頁) 「東京都における日の丸・君が代の強制の事例から、私が最も恐れているのは、思想・信条の自由への侵害行為が行われているにもかかわらず、メディアによって広く伝えられるに至らず、それを批判する世論が盛り上がることもなく、全体としては許されてしまっている、そういう現下の社会のあり方です。」(同上、22頁) ここでは、特定の社会問題への関心が広がらないのは、それ固有の理由(上の例で言えば、ビラが批判対象としたイラクへの自衛隊派遣への大衆の容認(黙認)、「日の丸・君が代」の国旗・国家としての大衆への「定着」)よりも、メディアがそれを報道しないからだと考えられている。<社会問題>→<メディア>→<世論>という図式が、何の疑問もなく前提とされている。 こうした思考様式から、「<佐藤優現象>批判」でも指摘したように、2005年の衆議院選挙における小泉自民党の圧勝を「メディアの影響」で説明しようとするような思考様式が生まれる。これは「愚民観」である。 こうした、大衆への「メディアの影響」を憂える言説は、左右問わず、当のメディアが最も好むものである。こうした言説は、自分たちは大衆への強い影響力を持っている、という自己肯定の言説だからだ。佐藤優や山口二郎や中島岳志のようなポピュリズム批判が、リベラル・左派のジャーナリズムに受けがいいのも、こうした陳腐な自惚れに依拠している。 こうした(憂い顔の)自惚れが、護憲派ジャーナリズムにおける、ポピュリズム批判とポピュリズム化の同時進行という、喜劇的な現象を支えている。メディアに簡単に大衆が流されるのが問題だというならば、大衆が政治的に自律的な判断力を持てるように促すことが考えられなければおかしいであろう。ところが、現実には、180度逆のことが起こっているのである。こうした護憲派ジャーナリズムは、大衆が「メディアの影響」で動かされるのは所与の条件だとばかりに、護憲派のポピュリズム化に向かっているのだから。 この人たちは恐らく、以下のように考えているのだろう。大衆は、小泉のプロパガンダに騙されるほど馬鹿だ。大衆の意見はメディア次第だ。メディアから「護憲」のシャワーを流すためには、メディア上で発言力のある改憲反対の人すべてと「大同団結」しなければならない。自分たちに尻尾を振ってくれるなら、集団的自衛権の行使容認のような解釈改憲論者すらも仲間にすべきだ。とにかく、「日本国憲法」は良いものだ、変えなくてよいというイメージを、シャワーのように、メディアから大衆に注ぐ必要があるのだから・・・・・・。 大衆が、護憲派ジャーナリズムに鼻白んでいるのは、田村が指摘する「卑怯さ」というよりも、その「卑怯さ」の下に見える、上記のような愚民観だと思う。当の護憲派ジャーナリズム(やその支持者)以外は、皆気づいているのだ。 ただ、こうした批判自体が、実は、ないものねだりだと思われる。田村は多分気づいていないが、護憲派ジャーナリズムの大多数の人々は、計算を間違えているから「現実主義的護憲論」の下での「大同団結」を図っているのではなく、彼ら・彼女ら自身が、田村や旧来の護憲派のような憲法の平和主義の「理想を目指す意志」や、日本の侵略責任・戦争責任の観点から憲法を捉えるという視点を、もはや全く持っていないからこそ、「現実主義的護憲論」で行かざるを得ないのである。それは、前から何度も言っているように、民主党の安全保障基本法ラインであって、大衆は別にそれが「護憲」であると騙されないし、出版不況でそれで商売になるわけでもないんだから、もうこの人たちは「民主党の安全保障基本法ラインで行こうよ!」と言ってしまった方が(保守系の読者層の開拓という観点からも)いいんじゃないかと、これは皮肉ではなく老婆心から思う。 なお、「メディアから「護憲」のシャワーを流すためには、メディア上で発言力のある改憲反対の人すべてと「大同団結」しなければならない」という認識と同様のものは、格差問題や沖縄問題でも似たようなものである。 「反貧困」論は、マスコミ内での支持を獲得するために、中産階級没落危機論(これはレイシスト的保護主義に親和的である)にほぼ回収されてしまったわけだが、これではいくらマスコミが煽ったところで、下層階級はなかなかなびかないどころか、かなりの部分が「(中産階級の)既得権へのメス」を訴える新自由主義に回収されるだろう。 また、沖縄の左派やマスコミは、保守派と共闘するために、教科書への集団自決の強制性の記述とひきかえに、基地の県内移転を黙認することになると思われる。これは、沖縄の特に若い世代における、小林よしのりの主張――基地の県外移転の支持と日本の核武装化の推進、沖縄の人々(小林にとっては、琉球処分は廃藩置県と同じことであって、「琉球人」は「信州人」や「越後人」と同じ意味でしかない)の日本人としての「大東亜戦争」への献身の称揚等――の支持者の拡大に帰結するだろう。 日本に数年後、大衆的な極右運動が現われるとすれば、それは在特会のような人種主義集団の形態ではなく、多分沖縄から、小林の支持グループを中心として登場すると思う。そこには、朝鮮系日本人も多数加わっているはずである。それは、在特会などよりも、はるかに厄介かつ強力な集団だと思われる。
by kollwitz2000
| 2009-05-25 00:00
| 日本社会
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