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2009年 06月 28日
以前書いた、「論評:佐高信『佐藤優という思想』」の「①」および「②」について、ブログ「一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ」の佐高ファンさん(ichigeki氏)が、紹介と感想を書かかれていた。同ブログについては、すでに「②」でも触れている。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10276965232.html http://ameblo.jp/sataka/entry-10279998781.html ichigeki氏によれば、「①」と「②」は、「もう佐高ファンが立ち上がれないほどの衝撃で佐高信さんの週刊金曜日コラム、風速計の「佐藤優という思想」を真っ二つ」しており、「この金さんの佐高批判はほぼ妥当なものが多くてファンとしてもまいったなぁと脱帽しています」と、高く評価(?)して下さっている。紹介下さったこととあわせて、御礼をしておく。 だが、ichigeki氏の(「①」「②」にとどまらない)感想に関しては、私の主張についてのいくつかの誤解が含まれている、と考える。私の立場を明らかにしておくよい機会でもあるので、ichigeki氏の疑問の主なものに対して答えておきたい。ただし、時間の関係と、ブログという性格上、何回かに分けて書く。その点は諒とされたい。 実は、ichigeki氏の感想の中では、直接「①」「②」とは関係のないものの方が本質的な論点なのである。したがって、まず、そこから答えておく。Ichigeki氏の文章を引用しよう。 「ここからは余談になります。私は思うのですが、この国家主義的なファシズムのようなものに批判的な金さんも実際は「ナショナル」なものからの桎梏からは離れられないのではないかと思っています。 それは朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応というものに見られます。例をあげれば金賛灯氏の「朝鮮総連」という本に対して 「『すでに在日は朝鮮総連の必要性を認めていないだけでなく、朝鮮民族が日本で生活していく上で有害な組織と認識し始めている』」(金賛汀『朝鮮総連』新潮新書、二〇〇四年五月、二〇〇頁)などという言説が大手を振ってまかり通っている」 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html とか 総連に対してはもう1人在日韓国人の激しい批判者がいます。辛淑玉さんです。ろくに本を読まないネット右翼から見れば信じられないことでしょうが、辛さんは民族学校に在学中、日本の学校から転校してきたことで物凄い虐めにあったことを書かれており、また総連が在日企業の経営している遊技場の近くに総連系列の企業の同様な遊技場を進出させて潰してしまう、ということを激しく批判しています。 真の共生社会をめざしている辛淑玉さんらしい記述です。」 http://ameblo.jp/sataka/entry-10279998781.html 「ナショナル」の定義はいろいろあるが、ここでのichigeki氏の用法から、それをあまり厳密にせずに「民族主義的なもの」とでもするならば、そもそも私は、人間は「「ナショナル」なものからの桎梏からは離れられない」と考えており、自分はそうした桎梏から離れている、というのは単なる錯覚であると思っている。私は自分をことさらに民族主義者であるとも考えないが、「ナショナリズム」がそれ自体で悪であると否定したことはなく(例えば、この記事を参照)、「ナショナリティの脱構築」といった類のポストコロニアリズムには、亜インテリの観念遊戯という認識しか持っておらず、例えば、日本人がナショナリストとして、自国の侵略と植民地支配責任を果たすべきであるとする運動や主張があれば、それこそ全面的に支持したいと考えている(注)。 それはさておき、私が違和感を持つのは、ichigeki氏が、私が「朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応」をしているとし、そのことを問題視していることである。 この件に関する私の主張は、「朝鮮総連の資産凍結について」で書いたので、詳しくはそちらを参照していただきたいのだが、ichigeki氏が、私の主張を批判するのであれば、私が取り上げているような日本政府の朝鮮総連に対する措置が弾圧ではないのか、または、弾圧であったとしても(一定の)正当性があるのかを、論点にすべきだと思う。 ところが、ichigeki氏の主張は、そうではなく、あたかも私が朝鮮総連の支持者やシンパであるとの印象を読者に与えるものとなっている。これは、ichigeki氏が仮に意識的にやっているのだとすれば印象操作と言われても仕方がないし、そうでなかったとしても、以下の理由で疑問とせざるを得ない。 「朝鮮総連の資産凍結について」でも、「<佐藤優現象>批判」でも書いているが、私はそもそも朝鮮総連を支持していないのであるから、日本の市民や左派の間から、こうした弾圧に批判の声が強く上がっているのならば、この件に関してあえて発言する気は特になかったし、今もないのである。 ところが、そうした批判の声は、市民や左派からは、目に見えるレベルではほぼ全くといっていいほど起こらなかったのであって、だからこそ私は声を上げているのである。 「朝鮮総連の資産凍結について」でも書いたが、私が言っているのは、朝鮮総連を支持するとかそういったことではなく、外交関係上の「国益」の観点という理由のみで、多数の構成員を持つ民族団体に対して、政府が意のままに強制捜査をしたり資産凍結したりができるというのはおかしい、ということだ。 こうした、対象の「人権」を全く考慮に入れない、「国益」の観点からのみの弾圧は、外国人一般に対しても許されるべきでないと思うが、ましてや、在日朝鮮人は、日本の植民地支配による朝鮮の農村経済の崩壊、朝鮮の近代国家化の挫折の結果、日本で食べていかざるを得なくなった朝鮮人およびその子孫なのだから、日本に定住する権利を持つ(「日本で生まれて日本で育ったから」、「地域社会の住民だから」定住する権利を持つ、と言っているのではない)。 だから、「国益」の観点からのみで、強制捜査や資産凍結を国家ができるのであれば、在日朝鮮人は日本国民と同等の基本的人権は享受できない、と言っているに等しいではないか。仮にこうした、在日朝鮮人への「国益」の観点からのみの弾圧が認められるのであれば、韓国国籍の在日朝鮮人の日本での生活も、「権利」ではなく、日本国家(日本人)が与える「恩恵」に過ぎないものということになる。これは、裏を返せば、民族差別等の社会的な不遇は甘受せよ、ということと同じではないか。 したがって、私が「朝鮮総連に対する「弾圧」に対してのかなり激しい対応」をしているなどと、私の態度の異常性(?)をあげつらっているのは、本末転倒としか思えない。私からすれば、日本政府の弾圧と、それに対する日本の市民や左派の沈黙の方が異常事態であって、ichigeki氏もその沈黙の加担者なのである。したがって、ichigeki氏から、異常に見えることそれ自体を問題にされることには、怒りを覚えざるを得ない。 上でも述べたように、私の主張に異論があるのならば、異常に見える云々ではなく、日本政府の朝鮮総連に対する措置が弾圧と言えるものではないこと、または、弾圧であったとしても(一定の)正当性があることを示すべきだと思う。 また、ichigeki氏は、辛淑玉の民族学校体験や朝鮮総連批判を引いている。だが、こうした事例は、個別で日本の国内法で裁かれればよいだけの話であって、日本政府による弾圧を正当化することにはならないだろう。辛の語るような話は私もいろいろ聞いているが、「朝鮮総連の資産凍結について」でも示唆したように、ある民族団体がそのマイノリティ集団にとって有益であるとか有害であるとかを、マジョリティの側が判断する権利はないのであり、それこそマイノリティの自己決定権の侵害であろう。 朝鮮総連弾圧は、国籍を問わず、在日朝鮮人が本来もっと批判の声を挙げるべき問題である。極めて皮肉なことに、元公安調査官の右翼である菅沼光弘は、「在日朝鮮人が不当に弾圧を受けているということになれば、比較的よく日本社会に溶け込んでいる中道穏健な在日朝鮮人も、総連と行動を共にするようになる可能性もある」と、「朝鮮総連潰しの動き」がもたらす影響を警戒し、懸念を表明している(菅沼光弘「アメリカは北朝鮮の核保有を容認した」『月刊日本』2007年8月号。強調は引用者)。私は「総連と行動を共にする」気はないが、菅沼はある意味で私と認識を共有しているのである。 ところが、2002年の小泉訪朝以来の日本の世論に接して、在日朝鮮人側は怯えきっているので、こと北朝鮮・朝鮮総連関連の問題に関しては、言論人のレベルでは、沈黙するか、朝鮮総連への「怒り」を表明して、自分たちは健全な(?)「在日」だと日本社会に必死にアピールするかのどちらかだけだ(例えば梁石日。また、この記事の民団の行動も、その典型である)。 こうした構図において、日本社会に過剰適応しようとする在日朝鮮人(ichigeki氏の文章では辛淑玉。辛については、「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 4」 でも簡単に言及したが、また別の機会に述べる。辛は、多分善意でやっているからこそ、却って厄介なのである)を引き合いに出して、別の在日朝鮮人を批判するというのは、あまりフェアではないのではないか。ichigeki氏が、私の所論を批判するのであれば、ichigeki氏自身の言葉で語って欲しい。 (注)念のために言っておくが、最近、労働問題関係で流行の「ナショナリズム」復興論(「リベラル・ナショナリズム」)は別である。あれは、ナショナリストとしては肝心要のはずの、日本の侵略と植民地支配の歴史をどう引き受けるかという議論を回避した、ナショナリストと言うよりはレイシストと言ったほうが的確な主張である。この点は後日論じる。
by kollwitz2000
| 2009-06-28 00:00
| 在日朝鮮人
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