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2009年 07月 06日
佐高ファンのichigeki氏が、7月7日に開かれるという、「憲法行脚の会」主催のシンポジウムについて書いている。登壇者の一人は佐藤優である。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10293694932.html http://ameblo.jp/sataka/entry-10283161759.html この件について、ichigeki氏は、私について、「佐藤さんを擁護しつづける佐高信さんにも批判をはじめられておられる」と記しているが、これは事実と異なる。「<佐藤優現象>批判」以来、私が批判の対象の主眼としてきたのは、佐藤優というよりも、佐藤優を重用するリベラル・左派であり、その中でも佐藤と最も強く結託してきた一人である佐高については、この検索結果からもわかるように、2007年11月以来、何度も批判してきている。 ところで、このシンポジウムの演題は、「蘆溝橋事件の日に戦争と文学を考える」である。この演題の下で開かれるシンポジウムに、佐藤を呼ぶというのだ。主催者の「憲法行脚の会」という団体に何かを期待するのは間違っているのだろう。これについての、 「上記のイベントにも出る佐藤優さんですが、イスラエルのガザ攻撃を一貫して支持しておられることと、戦争文学を読み直すことの整合性をどうイベント参加者はみているのか、気になるところであります」 というichigeki氏の指摘ももっともであるが、私としては、以下の佐藤の文章を引用しておこう。 「前述したが、後発帝国主義国である日本としては、中国や東南アジア諸国を欧米列強のくびきから解放したいと思っても、現時点ではそれを実現するための基礎体力が足りないから不可能なのである。従って、期間限定で中国を植民地にしなくてはならない。中国の解放のためにもそれが必要なのである。中国に進出した目本の軍人や民間人の行動に大車亜共栄圈構築に相応しくない行状が多々見られることも事実だ。しかし、これらは過渡的現象で、欧米列強と戦い、大東亜共栄圈を構築することは同時に目本の国家システムを改造することでもある。財閥の横暴や政治家の腐敗を除去し、失業をなくし、国民の生存権を担保する改革を行うことである。だから中国人に焦らずに時間を貸して欲しいと訴えた。この訴えに耳を傾けた中国人もいた。汪兆銘(精衛)の南京国民政府も決して対日協力の傀儡政権ではなかった。中国の現実を踏まえた上で対日協力が日本の国益と考えた政治エリートによる政権であった。しかし、この流れは主流にならなかった。「あなたを苦痛から解放するために、当面あなたの苦痛はもっと大きくなりますが、我慢してください」という、日本人の善意を前提にした論理構成の中に民族的自己欺瞞が入り込む隙ができてしまった。大車亜共栄圈の罠は、目本の善意にあると筆者は考える。国際政治は、性善説ではなく、性悪説に立脚した「力の論理」を冷徹に認識した上で組み立てた方が周辺世界との軋蝶も少なく、結果として自国の国益を極大化するのだと思う。」(佐藤優『日米開戦の真実――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』小学館、2006年7月、249頁) 論理構成は右翼、落としどころは「サヨク」という、いかにも佐藤らしい文章であるが、問題は佐藤ではなく、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの主張を展開している佐藤を、こともあろうに「蘆溝橋事件の日に戦争と文学を考える」なる演題のシンポジウムに登壇者として呼ぶ、佐高ら「憲法行脚の会」であろう。 佐藤がこうした主張を同書で展開していることは、「<佐藤優現象>批判」で指摘済みであるから、少なくとも佐高は知っているはずである。佐高らは、佐藤がこうした主張を行っていることを知っていて、この演題のシンポジウムに呼んでいると思われる。 彼ら・彼女らのやっていることは、日中戦争における中国人被害者への冒涜ではないのか。以前にも示唆したが、日本の侵略責任・戦争責任の観点から憲法を捉えるという視点がない場合、「護憲」の主張は底知れないほど堕落していくことを、この件はよく示している。
by kollwitz2000
| 2009-07-06 00:00
| 日本社会
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