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2009年 07月 08日
8 戦後日本国家の二つの性格
前回の末尾で、和田・佐藤・荒木のうち、「勝者は誰なのか」という問いを立てた。 少なくとも一つだけ言えるのは、佐藤が負けていないということである。逆に言うと、外務省=日本政府の意志は貫徹されているのである(念のために言っておくが、私は佐藤が日本政府の意を受けているなどと言っているのではない。外務省の見解を保持している人物の行動が、このように機能している、と言っているのである)。 和田は、荒木のような極右を包含したつもりになっていると思われる。和田からすれば、外務省は、「平和国家」日本だ。だから、和田と外務省の「平和国家」連合軍は、極右を封じ込め、毒抜きしたことになるわけである。だが、外務省=「平和国家」日本は、同時に、大日本帝国と何ら断絶しておらず、植民地支配の法的責任、戦後補償を一貫して否定している国家である。したがって、客観的に見れば、和田こそが、荒木と外務省の右派勢力連合によって包含された、とも言えるわけである。もちろんこうした事態は、和田だけではなく、民主党の応援団の山口二郎をはじめ、その他の左派知識人にも当てはまる。 植民地支配に関する日本国家の公式見解は、反省する必要があるが、反省する必要はない、というものである。文言上は「お詫び」するが、法的責任は負わない、補償は行わない、という立場なのだから。右派勢力の中の復古的な人々と同様の見解もまた、日本国家の公式の一つの顔なのである。 日本国家は、「平和国家」という顔と、過去清算抜きの大日本帝国の継承者たる顔という、二つの性格を持っている。この二つは矛盾せず、共存している(注1)。この二つの性格があるからこそ、「平和国家」という表象を伴った右傾化が進行するのである。 この辺はややこしいのだが、本論の中では核心的な点である。「平和国家」という顔と、「過去清算抜きの大日本帝国の継承者」という顔は対立するものではないというのは、もっと言えば、前者は、日本国家が後者のような性格を持つからこそ生じている表象だ、ということである。戦後の日本国家が、後者のような性格を払拭し得ていたならば、前者のような欺瞞的な「平和国家」という表象は現れなかったはずである。 比喩的に言えば、和田らは、戦後日本国家の顔について、右側を右翼で、左側を「憲法9条」で覆わせて、全体を指して「平和国家」の顔だ、と言っているわけであるが、これに対して、「平和国家」とまでは言わなくても、顔の右側を右翼で、左側を「平和国家」的性格(自衛隊は海外で人を殺していない、というような主張。山口二郎や和田や『金曜日』や「マガジン9条」までは行かない、護憲派のかなりの部分はこちらである)で覆わせる、というのも図式としては同じだ。もちろん、後者の方がまだマシではあるが、図式としては同じだから、これでは戦後日本を「平和国家」だと描く表象には対抗できないだろう。 こうした理解と異なり、日本の周辺アジア諸国の民衆からすれば、戦後日本国家の顔は、右翼が「平和国家」という小さいお面をかぶっているように見えるだろう(注2)。戦後日本国家の二つの性格は、左右の関係ではなく、上下の関係である。「平和国家」という仮面で覆い尽くせない箇所が、復古的な右翼勢力として表象されている、ということである。 この件は、「国民基金」について考えれば、より分かりやすいかもしれない。「国民基金」については後述するが、韓国の民衆や挺対協が「国民基金」を拒絶した(している)のは、戦後日本国家の二つの性格を、上下の関係から捉えており、「国民基金」は単なる仮面に過ぎないと認識していたからである。それに対して、和田ら「国民基金」の推進者は、「国民基金」を、右の右翼と左の良心的な市民(和田ら)から成り立つ、戦後日本国家の「良心」を示す顔として表象していた(している)のである。 中国や韓国の民衆からの日本批判が、日本のリベラル・左派においても「反日」として表象されるようになっているのも、本質的にはこのズレに基因していると思う。首相の靖国参拝や、右翼的な歴史教科書の文科省による認可等は、中韓からすれば、戦後日本国家の、右翼的な顔という本質が顕現したものとして映っているだろう。もちろんこの含意は、日本国民に対して、右翼が仮面をつけているような構図そのものに対して批判的であること、構図そのものを変えることを呼びかける、ということである。 ところが、和田らからすれば、首相の靖国参拝や、右翼的な歴史教科書の文科省による認可といった事態は、戦後日本国家の左右の顔のあくまでも片方しか意味するものではなく、たとえ劣勢であったとしても、もう片方には(自分たちのような)「進歩的」もしくは「良心的」な勢力がいるわけなのだから、中韓による批判は一面的であって、日本国家を正しく認識していない、ということになるだろう。 したがって、和田らからすれば、戦後日本国家の二つの性格を上下の関係性として捉え、その構図自体を批判するあり方は、「日本」を丸ごと否定する「反日」として表象されることになる。そして、「反日」なのは、彼ら・彼女らの過剰な「ナショナリズム」、「民族主義」のせいだ、ということになる。もっと言えば、和田らのような「進歩的」ということになっているリベラル・左派が、中韓の主張を「反日」であると批判することによって、世論一般は、中韓の主張をまともに受けとめなくてよい(せいぜい「国益」論的に考慮するというレベルで)、と切り捨てることができるようになる。 (注1)戦後日本国家の二つの性格は、和田においては、以下のような認識において矛盾なく共存しているようである。 「空襲と艦砲射撃のなかで、日本国民は軍人たちが国外で進めた戦争の結果がいかに恐るべきものであるかを知った。日本軍は無敵であると誇っていたが、銃後の国民の家庭さえ守ることができなかった。日本全土が焼け野原となった。東京でも一夜で八万四千人が死亡した。広島における原子爆弾の投下によっては即死した者を含め五ヵ月以内に約十五万人が死亡した。ここから国民の軍隊不信が生まれた。国民がいかに無知であったにせよ、この軍隊不信の感情は実質的であり、強烈であった。 このおそるべき状態は八月十五日の天皇の玉音放送によって断ち切られた。米軍の空襲と艦砲射撃のもとで恐怖の日々をすごした国民の間には安堵の感情が広がり、それは天皇に対する一定の感謝の気持ちに進んだ。国民の反軍意識は天皇に対する感謝の意識と結びついた。この意識が戦後日本の平和主義の基礎をなしている。 天皇はその放送のなかで「朕ハ(略)堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス」と述べたが、降伏文書調印の二日後の九月四日、帝国議会開会にさいして勅語を発し、「朕ハ終戦二伴フ幾多ノ艱苦ヲ克服シ、国体ノ精華ヲ発揮シテ、真義ヲ世界二布キ、平和国家ヲ確立シテ、人類ノ文化二寄与セムコトヲ翼ヒ、日夜軫念措カス」と述べ、「平和国家」という目標を提示した。国民は「平和国家」というのは非武装の国家であるという解説に納得した。だから、天皇を国民統合の象徴とした新憲法の第一条を受け入れ、戦争放棄、戦力不保持の第九条を受け入れた。まさに自分たちの気分に合致した憲法であった。」(和田春樹「アジア女性基金問題と知識人の責任」小森陽一・崔元植・朴裕河・金哲編著『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』2008年11月、青弓社、136頁。強調は引用者) 最近一部で話題となっている、和田の天皇訪韓案(和田春樹「韓国併合100年と日本 何をなすべきか」『世界』2009年4月号)も、このような、戦後日本の「平和国家」は天皇制によって支えられている、という認識が前提にあると思われる。 (注2)無論、韓国や中国の知識層には、「東アジア共同体」(「東北アジア共同の家」)を推進するために、「和解」論を唱える人々も多いが、これは、仮面を、仮面であることは認識しながら受け入れる、ということである。多分、朴裕河のように、戦後日本を「平和国家」であると額面通り受け取ろうとする(させる)のは、「和解」を志向する人々の間でも少数派だと思う。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-07-08 00:00
| 日本社会
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