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2009年 07月 10日
9 戦後補償運動の日本国家への回収――「国民基金」を例として
戦後日本国家の二つの顔を上下の関係性として捉え、その構図自体を批判するあり方に対して、和田らは、「反日」だけではなく、「分裂」主義という名の下でも、切り捨てることを行なう。 和田らは、日本の「右翼」の力の大きさを強調して、自分たちへの左からの批判を「分裂」主義として非難するのである。これは、「<佐藤優現象>批判」でも指摘した、「人民戦線」の意義を強調して佐藤を重用することを正当化することにも似ている。 以下の和田の発言を見てみよう。 「日本で植民地支配への反省と謝罪の公式声明を求めて運動してきた人々のなかに、この基金構想(注・アジア女性基金構想)をめぐっても分裂が生じた。私は政府から求められて基金の呼びかけ人となった。私がその求めに応じた最大の動機は、国会決議(注・戦後五十周年国会決議)をめぐる右翼の結集の強さに心底脅威を感じたからである。(中略) 重要なことは、この人々(注・国民基金に批判的な人々)は右翼の結束、猛烈な巻き返しということを予想していなかったことである。結局、われわれとこの人々との分裂の結果は、右翼の攻撃を許すことになったと言わざるをえない。」(和田春樹「アジア女性基金問題と知識人の責任」小森陽一・崔元植・朴裕河・金哲編著『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』2008年11月、青弓社、141・143頁。強調は引用者、以下同じ) 「日本のなかの謝罪派の分裂、日韓の対立が日本の右翼の台頭を許した。」(同論文、146頁) では「右翼」であることを誇っている佐藤優と付き合う和田は何なのか、と突っ込みたくなるが、それはさておき、和田からすれば、中韓による国民基金批判に同調する日本の左派は、利敵行為を働いていた(いる)ことになるわけである。 だが、ここで、アメリカの下院をはじめとする、各国の「慰安婦」決議について考えてみよう。これらの決議に対する日本政府のスタンスは、基本的に、「国民基金」による償い金で解決済みなのだから、決議は受け入れない、というものである。「<佐藤優現象>批判」で指摘したように、佐藤は、この立場を支持するだけではなく、アメリカの議会関係者に国民基金についてロビー活動をしなかったとして外務官僚を非難している(実際には、外務省は執拗にロビー活動をしていた)。 和田が各国の「慰安婦」決議に対して、どのような認識を持っているのかは管見の範囲では分からないが、論理的には、上の日本政府(または佐藤)の認識と同一か、極めて近いものになるはずである。 仮に和田が言うように、「慰安婦」問題に関する日本の市民運動や左派の主張が、中韓の「反日」に対して距離を置き、「分裂」を回避するために、「国民基金」でほぼ統一されていたならば、各国の決議を真摯に受け止め、被害者に対して日本政府の謝罪と補償を要求する運動や主張は、現在の日本では(ただでさえ少ないのに)ほぼ存在しなくなっていただろう。それこそ、「国民」規模で、決議に反発していたに違いない。 「国民基金」についてはいずれまた検討するが、自民党がこれを「成功」と位置づけ、党幹事長(2004年当時)が「非常に評価されるべき」、「これからのいろいろな問題を解決していく上で、非常に説得力のある一つの方式」とまで高く「評価」していることも、示唆的であろう。 http://www.awf.or.jp/pdf/k0005.pdf http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/enruete_fukuoka.pdf このように、客観的に見れば、和田や「国民基金」の役回りは、「右翼の台頭」の危機を強調することを通じて、日本の過去清算への姿勢を批判していた人々を、中韓や諸外国からの対日批判と切り離し、日本政府の主張のラインに回収することにある。 周辺アジア諸国からの対日批判は、まさに和田らのような人々の貢献によって、「反日」として表象され、無効化されることになる。日本の「普通の国」化、右傾化への抑制力であった(はずの)ものが、その促進力に変わっているのである。 言い換えれば、日本の「普通の国」化、右傾化を抑制するはずであった、戦後日本国家の「過去清算抜きの大日本帝国の継承者たる顔」への批判が、逆に、戦後日本国家が「平和国家」であることを示す一つの証として位置づけられるようになった、ということである。 すなわち、これによって、戦後補償運動や諸言説を、日本国家は、自らへの本質的な批判者ではなく、批判的な擁護者として、回収することができるようになったのである。これは、「国民基金」だけではなく、このところの、「中国や韓国の「反日」とは距離を置くことを強調しないと、自分たちの主張は日本社会では受け入れられない」という、一部の戦後補償運動や言説に見られる傾向にも妥当する。 和田らによる「国民基金」の推進や、その後の振る舞いについて、和田らが転向した、という批判をよく見かける。こうした批判は必要であるが、ただ、そうした人々への倫理的な無責任さを批判するだけでは、あまり有効な批判にはならないと思う。むしろ私は、和田らにとって、そもそも「転向」自体が必要ではなかったのかもしれない、と考えている。和田らは、朝鮮への植民地支配への戦後日本国家の居直りを批判してきた、1980年代から、本質的には変わっていないのかもしれない。「国民基金」をめぐる対立というのは、本質的には、戦後日本国家の二つの顔の位置づけ方に関する相違である、と私は思う。 私は、何らかの右翼勢力の「黒幕」を想定して、それが、「平和国家」という表象や担い手を利用している、と言っているのではない。そうした流れも一定程度あるとは思うが、そうした陰謀論的な説明枠組みは必要ではないし、説明としても不十分である。そうではなくて、戦後日本国家を「平和国家」として位置づける「サヨク」の人々が、主観的には右翼勢力と対抗しているという構図とプロセスにおいて、事態はそのまま「右傾化」と表さざるを得ない形になっているのである。誰かが「右傾化」を画策している、ということは重要な問題ではない。 和田らが転向した、魂を売ったということだけで説明できるのであれば、話は簡単なのである。だが、事態が深刻なのは、和田らが少なくとも部分的には真摯に、主観的には右傾化に対して抵抗しようと努めるからこそ、より右傾化が進むという構図であるからのように思われる。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-07-10 00:00
| 日本社会
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